筆者 奥井禮喜(おくい・れいき)
日本の政治は、いま、変え時です。
実は、正確にいうならば、政治はいつも変え時なのですが、政治家のみなさんが変えようとしないのです。変わらないのがいちばん心地よい、まさに政治におけるゆでガエルであります。なぜ変え時を失うのか、岸田氏を例にとって解説いたします。
岸田氏は、かの手帳をかざして登場しました。手帳はなかなか含蓄があります。
フランスの思想家ポール・ヴァレリー(1871~1945)の「カイエ」(手帳)はとりわけ有名です。彼は、若いときから自分の考えをカイエに書きつけました。カイエは、彼の精神的荒地の切り株や石などを取り除き、開墾した畑を耕し、知恵の種を撒いて育てる大きな世界でありました。
彼は、「決着が容易につくようなものは重要な論争にあらず」というわけで、次から次へと難問に挑んで自身の知恵の精神を磨き続けました。
わたしが高校生のとき、ある教師がかなり使い込んで古ぼけたノートを示して、「わしゃ、この1冊で25年間教えてきた」と自慢しました。未熟ではありますがわたしは、大先生の講義を聞く気持ちが失せました。
岸田氏の手帳にはなにが書いてあったのでしょうか。素振りからして、人々は「自分たちのこと」がたくさん書いてあると感じたでありましょう。その通りだったのでしょうか? いや、全然的外れでした。だから、岸田氏はこれからいよいよ仕事ができる時期になって総スカンを食いました。
もしかして、なにも書かれてなかったのか? まあ、そこまで大物のワルではないでしょう。もちろん、書かれていたはずです。なにを書いていたのか?
岸田氏は早くから首相をめざして努力してきたそうです。首相にたどり着くためのメモであったにちがいありません。政治家の仕事に精通するためならば人々の生活や意見で満載されたでしょう。しかし、彼の目的は首相になるためであって、人々のための政治をすることではありません。
いわば政界遊泳術が満載されていたのでしょう。つまり、of the 岸田・by the 岸田・for the 岸田、岸田ファーストであります。
まじめな人は、よい仕事をすればポストが自然についてくると考えます。これは素直でよろしいのですが、そんな調子であれば、万年陣笠、縁の下の力持ち、だれからも好かれるでしょうが、ポストから遠ざかります。
なにしろ、保守的政治家においては、ぼくの手柄はぼくのもの、あなたの手柄もぼくのものという、生き馬の目を抜くのが処世訓なのですから。
ただいまは自民党総裁選、首相の座が目前にあるわけで、われもわれもと手が上がっています。わたしは、首相になるだけの仕事をしてきたのか。なんてことを自省・自戒するような政治家はおりません。逆にいえば、あいつもこいつもたいした仕事をしていないのだから、自分にも十分に資格があるというわけです。
総裁選が、バトルロイヤルなのか、在庫一掃大安売りなのか。いずれにしても、人々が期待する政治家が登場しないだろうことだけは予想できます。なぜなら、だれも岸田政治の評価などいたしません。岸田氏が、なぜ不人気絶頂で総裁選不出馬に追い込まれたか。考えてみれば、岸田ファーストに行きつきます。候補者諸君は、岸田ファーストとどこが違うのでしょうか。
人々が、of the people, by the people, for the peopleなる政治を期待して、政治家が意見を汲み取ってくださるのを待っているならば、百年河清を俟つ、の通りでありましょう。
もっと直截にいいますと、of・by・forの次のpeopleとは、実は、自分自身、「私」なんであります。
政治は変え時です。