筆者 奥井禮喜(おくい・れいき)
自民党がダメでも立憲民主党への関心が高まらない。政権交代のために、いかに野党共闘を組み立てるかというのも大事だが、その前に自主自力路線のための条件を整えるほうがはるかに大事だ。
野党共闘は、誰が取り組んでもパッと開花しない。そもそも、維新は、立憲を毛嫌いしている。実は、自民党との仲間意識がはるかに強い。国民民主は、屁理屈はこねるが力がない。どちらかといえば自民党への親和性が高い。だから、立憲・維新・国民が結束するためには、立憲はパーティ・アイデンティティ(PI)を自民党的なものに作り直すしかない。つまり「表向き野党・本体は与党」という鵺(ぬえ)的政党である。そんな党は役立たない。
かくして、野党共闘を党代表選の柱にするのは、まあ、玄人受け(こんなものはあやしいが)するとしても、従来じっとがまんして立憲を支えてきた人々がおさらばするだけで、新しい支持者を獲得できるわけがない。
いま立憲のなにが問題なのか? 保守系や右翼系がさかんに立憲を左翼リベラル呼ばわりするが、本当の欠点は、リベラル度がおおいに不足している。保守・右翼系がぎゃあぎゃあいうのは、本物の! リベラルになられると歯が立たないから、それを警戒して予防線を張っているわけだ。
そこで、立憲民主党のみなさんに考えるべきポイントを提供する。
A 人々の要求がパンとバターの拡大のみにあるとする幻想・錯覚。
人はだれでも誇り高い存在である。日々の暮らしがなんとかこなせれば満足というのではなく、もっと自由に自分の人生をつくっていきたいのである。
B アパシー(政治的無関心)のなかにこそ変化を生む要素が隠れている。
アパシーを生む要素は、たとえば繁栄の神話である。実は、日本はどんどん没落している。あるいは、個人には変革する力がないと思わされている。実は、個人こそが社会の主人公である。
C 従来ルーチンを克服するための想像力。
いままでやってきたこと=前例と変わらぬ活動をするなら、なにも変わらない。政治家をめざす諸君は、もっと自分なりの未来に挑戦せねばならない。いままでと違うことをやる。自分が、やりたいことをやる――これが政治家個人の出発点である。
つまり、いままでの態度がリベラルなんだという思い込みを捨てねばならない。自民党的モデルをものしたいという考えではいかん。そんなものは、民主主義以前のお上依存意識に立脚したものである。すなわち、民主主義以前の政治意識が自民党を長く支えてきたのである。
戦後民主主義というが、日本人の民主主義意識は幼稚である。まことに残念ながら、人々は主権在民がわかっていない。それがわかるならば、不満を抱えて文句もいわないわけがない。
わたしが第一に推奨するPIは、民主主義ラジカルの立場である。この場合のラジカルは「根本的」の意義である。民主主義の根本に立って、現状の似非民主主義を打破していく。人々が民主主義者として成長することと、立憲民主党の党勢拡大は比例関係にある。
民主主義は、徒手空拳、非力な人々が作り出した偉大に政治制度である。その原点を忘れてはだめだ。たまたま、わが国は敗戦で棚から牡丹餅が落ちてきたのである。だかといって、いつまでも民主主義のよさがわからないのでは、猫に小判・日本人に民主主義だと笑われよう。
立憲民主党諸君は、民主主義の原点に立って格闘せねばならない。それがまるでできていないから、いつまでも小政党に甘んじている。本気を出せ。