論 考

人間原子炉のたとえ

筆者 奥井禮喜(おくい・れいき)

 森滝市郎先生(1901~1994)をお訪ねしたのは1976年夏の盛りだった。あれから48年過ぎた。

 哲学者の先生は、考え抜いた結果、核エネルギーと人類は共存できないという確信をもたれた。しかし、現実に核兵器は存在し、それを駆使できることをもって世界に君臨する政治家ばかりである。

 そこで先生は反核運動を成功させるために、「人間原子炉にならなくちゃいかん」と話された。核に対決する人間精神を原子炉のごとくに燃やせといわれる。

 破壊も殺戮も悪である。一方に、力なき正義は正義にあらずという。その考えは、悪(力)をもって悪(力)を制するのが正義とする。

 しかし、悪が悪を征伐したからといって悪が善に転換するわけはない。悪はどこまでいっても悪に過ぎない。

 世界は力万能論が飛び跳ねている。面倒くさい思考回路をおっぽり出してさっさと結論を引き出すのがラクだ。

 この無思考に依拠した政治家がいかに多いか。

 たしかに核兵器は悪の象徴だ。ただし、核兵器が勝手に動くわけではない。その悪を駆動させるのは人間である。核よりも悪は人間である。

 その人間の悪に対決していくために、森滝先生は「人間原子炉」というたとえを話してくださった。

 先生が彼方へいかれて30年、わたしはまだ原子炉を開発できない。