筆者 奥井禮喜(おくい・れいき)
欧州では、オーバーツーリズム抗議運動がにぎやかだ。オランダ、ギリシャ、スペインなどでデモによる抗議運動が展開されている。
人気観光地の人々が、旅行者のマナーの悪さや、経済的に恩恵をうけるどころか、家賃や住宅価格が高騰して生活が圧迫されている。
ジョン・ロック(1632~1704)は、貴族の子弟のための『教育に関する考察』で、子弟の教育の最高のものは外国旅行だと主張した。
いわく、気候風土も言葉も異なる外国へ出かけて、紳士として立派に通用するようになれば本物だ。外国旅行は長年の教育の集大成である。
わが国には、かわいい子には旅をさせよという言葉がある。甘やかして育てるのではなく、親元から離して、世間の苦しみや辛さを経験させたほうがよいという。その典型が、幼いときからの丁稚奉公だが、どうもこれは、不如意で親元で十分に育てられず、丁稚奉公させるのを言い繕った感無きにしも非ず。
いずれにせよ旅が人間を鍛えるという考え方は、昔からある。
ところで昨今の旅行観には、こんな人間観みたいではなく、物見遊山、珍しいものを見物して遊びまわるという気風だろう。
旅行記で有名なのは、ゲーテ(1749~1832)の『イタリア紀行』である。長年にわたってローマを訪れたいと願っていた彼は、1人乗り馬車や、徒歩で旅をした。
途中の景色を走馬灯にするのでなく、植物を見たり、地質を見たり、その地方の生活を考えたりして、古代ローマの史跡を学ぶだけではなく旅そのものから学んだ。
現代の旅行は、あっという間に現地へ到着して、珍しいものやおいしいものをふんだんに体験し、お得な買い物をしようというのが主流だから、カタログツーリズムみたいなものだ。『地球の歩き方』だったかな、それを読んでおけば大出費して、時間を潰す意義はさしてない。
以前、3か月の船旅をした人の話を聞いたが、たっぷりある時間の豊かな恵みについては一言もなかった。観光写真の説明だけだ。
だれでも世界中を旅する時代であるが、物理的に地球が小さくなった感があるものの、人間相互の理解が深化したような気配がない。逆に「迷惑」をばらまいているのであれば、せっかくの旅の価値はない。
昔から、旅の恥はかき捨てという困った言葉もあるなあ。