論 考

ネタニヤフは戦争をやめたくない

筆者 奥井禮喜(おくい・れいき)

 7月30日、イスラエル軍はレバノンの首都ベイルート南郊を空爆して、ヒズボラ幹部シュクルを殺害したと発表した。翌日早朝、今度はイランのテヘランで、ハマス政治局長ハニヤが殺害された。ハニヤが、ベゼシュキアンのイラン大統領就任式へ出席した直後の事である。

 イスラエルは殺害を発表していないが、まず、まちがいなくイスラエルによる殺害であろう。

 ハマスは、「戦いを新たな次元に引き上げ、地域全体に大きな影響を及ぼす危険な出来事だ」と、少々客観的な表現を発表している。また、幹部の1人は、ハマスとは概念であり、イデオロギーであるから、指導者を殺害してもなにも変わらないとコメントしている。

 イランの最高指導者ハメネイ師は、「イスラエルが自らに厳しい罰を科されることになる。ハニヤ氏は、イランの領土内で殺害された」と語った。

 和平合意を取り持っているカタールは、「これでは仲介できない」と憤っている。

 ハマスもイランも、事件に対する構え方を述べただけで、具体的になにをやると主張していないのは、イスラエルが殺害実行を認めていないからでもあるが、それ相応の報復をおこなうとなれば、相手に被害を与えるだけではなく、中東地域全体に影響する危険性を十分に知っているからであろう。

 イスラエル対ヒズボラ、ハマス、イランの戦争状態に入ればますます戦争が拡大して抜き差しならない事態を招く。

 ここで疑問が沸くのは、やはりイスラエル、ネタニヤフの態度である。ヒズボラ、ハマス、イランが自制するかどうかはわからない。にもかかわらず、崖っぷちへ向け挑発しているのはネタニヤフである。

 ネタニヤフはすでに国内での信望が地を掃うところまで来ている。単純にみれば、対パレスチナ戦争で、国内が納得する戦果をあげるしかない。いまのままではとても戦果を認めてもらえない。

 人質解放に直結するのは、ハマスを叩くことだと断言して始めたガザ攻撃である。ネタニヤフの目論見ではとっくにハマスが降参して、人質も無事に帰ってくるということだったろうが、まったく見通しが立たない。

 そればかりか、国際的には反シオニズムだとレッテルを貼られても、イスラエルの大量破壊・殺戮の理不尽さを批判する人々が増えており、頼みの綱のアメリカも、停戦不可欠の構えである。

 トランプが大統領になれば好都合だが、万一、そうならなかった場合には四面楚歌になりかねない。大統領選挙までは停戦合意したくない。トランプが大統領にならなければ計算は大きく狂うが、いずれにしても、戦火を収めず突き進むという考え方みたいである。

 なぜこのような見方になるかというと、話し合いをする気があるならば、ハマスの政治リーダーを殺害する手はない。話し合いする相手がいなければ、独自に戦争を続けられる。カタールが、「これで停戦を仲介できるか!」というのはもっとも至極である。

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 プーチンもネタニヤフも権力の魔力にとりつかれて、政治家としてのまともな思考ができないようにしかみえない。

 権力者に恣意的な政治をさせない。これこそ、民主政治の大目標である。なにしろ、戦争ほど権力者の権威が高まる時はない。わが憲法第9条の非戦・平和の意義はここにもしっかりと根を下ろしている。