NO.1562
CNNによるとアメリカのシェラネバダ社が、大韓航空保有のボーイング747を5機購入して、終末の飛行機を開発するそうだ。
F4Bナイトウオッチとか空のペンタゴンとも呼ばれる米空軍戦略指揮統制機で、緊急事態に米軍の指揮統制拠点とする。高生存性空中作戦センターというのが正式名称という。予算130億ドル(約2兆円)、100人以上が搭乗可能である。現在も1機が週7日・24時間体制で待機しているらしい。
わたしの常識では馬鹿げていてくだらない。ポンチ絵を地で行くというか、事実は小説よりも奇なりというか。そもそもペンタゴンが指揮統制拠点として使用不可能で戦争指導部が空へ避難する事態とは、アメリカ本土が壊滅状態になっているときだろう。100人ほどの戦争指導部が、誰に対して、いかなる指揮統制をおこなうのだろうか。
プーチンのウクライナ戦争もネタニヤフのパレスチナ侵攻も、わが問題と考えれば非常に腹立たしい。世界が危機だと訳知り顔をしつつ、たかが ! 政治資金問題一つを半年も抱え込んでいる日本の政治家のドタバタ的惨状は腹を立てるのも腹立たしいくらいだ。
世界中の政治家が軍事を優先して、外交を実質的に放棄するような国際政治をおこなっているのだから、その手足たる官僚組織がまじめに考えつく先は荒唐無稽の具体的政策である。ものごとの考え方が破綻している。
米国中心世界秩序を金科玉条のごとくに守ると称して、世界をブロック化することばかりに熱を上げている。
外交に頼らない、恫喝的防衛戦力が向かっている先は戦争でしかない。連中のやることは児戯に等しいと高みの見物する気分にはとてもなれない。なにしろ連中は、人々の暮らしを発展させるどころか、自分が権力の座を失わないためには核兵器を使うこともいとわないという破天荒である。
いったい、なぜこんなばかばかしい事態を招いたのか。
こんなとき、ニーチェ(1844~1900)の痛快な語り口が思い浮かぶ。まず、「他人のために」とか「自分のためではなく」というような言葉には、あり余るほどの魅力があるから、もしかしたら誘惑ではないかと問わざるを得ない。ご用心、ご用心と警告する。
単純素朴な視点であるが、なるほど。政治家諸君はいつでも滅私奉公、人々のために一意専心いたしますと語るが、現実は、自分が選良の地位に恋々汲々一意専心するのであって、人々のための政治に滅私奉公するのではない。しかも、自分がパラサイトしている人々に対しては、「全体のために」協力するべしとお説教するのが得意である。
こんなことは客観的に考えればすぐわかる。にもかかわらず、なぜ、人々はその単純なだましのテクニックに引っ掛かりやすいのだろうか。これまた単純そのものであるが、人々は政治において、自分自身をお客様と置いている。政治とは上げ膳据え膳である、と信じて疑わないのである。
ニーチェは、キリスト教を奴隷の宗教であると痛烈批判した。辛い自分の境遇を救ってくださるのは神である。だから、ひたすら神の言葉に従って生きればよい。本当にそうだろうか! ただ食って寝て無事に過ごせれば上等だというのであれば、それは牧場で飼われている羊と同じではないか。
民主主義になった。だれもが生活の保障・安全・安心・快適を期待して、神ならぬ政治家にお願いする。たくさんの人々の無限のお願いを聞いた神さまは、どうやらあまりにもお願いが多いのでわたしにまで手が回らなかったらしい。民主主義は、政治家が神に成り代わったのだろうか。神でさえ手が回らない。いわんや政治家においておや。これで納得できるのだろうか?
ニーチェは、「高貴とはなにか」を自分のテーマとして考えることを提案した。これがニーチェの思想の核心である。高貴な魂は、自分自身に対して畏敬の念をもつ。政治家にお願いお任せして、生活の保障・安全・安心・快適を期待するのは、牧場の羊となにが異なるのか。民主主義を奴隷的思想にしてはならない。
世界の民主主義先進国の、アメリカの民主主義の行きつく先が高生存性空中作戦センターである。「言わんこっちゃない」、ニーチェの声が聞こえる。