筆者 高井潔司(たかい・きよし)
目下一風変わった中国映画を見ている。ハンディカメラ一つで、ナレーションもなく、ひたすら、執拗に、中国の様々な現場を映し出すドキュメンタリー映画だ。様々なといっても、同じ製作者のドキュメンタリー作品は14作あり、いずれも一つの現場に密着して、その日常を黙々と、そして延々と撮り続けている。14作品の現場が様々という意味だ。
“見ている”と現在進行形で書いたのは、処女作『鉄西区』(2003年作)は上映時間9時間。それでも5月3日、渋谷のミニシアターでの一回限りの上映は予約満席。これは一生見逃すかと思い、いろいろインターネットで調べて見たら、ネット配信で見ることがわかった。さすがに、9時間となると、とても一度で見るのはつらい。幸いDVDのネット配信だから、いつでも一時停止して、ゆっくり見ることができる。というわけで、目下第一部(約4時間半)をようやく見終わったところだ。
制作者の王兵監督や『鉄西区』という題名は聞いていたが、それほど注目していたわけでもなく、見る機会はなかった。たまたまスタジオジブリ作品『君たちはどう生きるか』が中国で人気という読売新聞の記事が気になり、オンライン版の記事を読んでいたら、その記事の下に王兵監督の最新作『青春』(2023年)の映画評が掲載されていて、現在渋谷のミニシアターで上映中とあった。そこで、妻と一緒に出掛けてみたのである。
そこで配られたチラシに、『鉄西区』も5月3日に特別上映されるとあった。午後1時上映開始、夜10時までの長丁場。『青春』の入りは2割程度だったから、まあ予約をしておくかと調べてみたら、とんでもない、一週間前から予約満席だったというわけだ。どうやら映画ファンにとって、斬新な手法の評判の映画ということだったらしい。
『鉄西区』の舞台は、中国の東北地区、瀋陽市駅の西側の工場地帯だ。旧満州時代、日本が建設した兵器工場群を、建国後、ソ連がドイツから接収したプラント、機器類を持ち込み、中国有数の重工業地帯となった。しかし、この映画が製作された1990年代末は改革・開放路線から取り残され、後れた設備、経営によって倒産寸前に追い込まれていた。
映画は、その中のほとんど廃墟かと思わずにはいられない銅精錬所、鉛精錬所の施設やそこに働く労働者の姿を追い続ける。カメラの前というのに、風呂上がりの全裸姿で会社に不満をぶつける人、ばくちに興じるグループ、そして投げやりな働きぶりを遠慮なく延々と映し出す。画面はなんの防止策もなく吐き出される煤煙で見えなくなることもしばしばだ。
この時期の国営企業の荒廃ぶりについて、中国の経済紙で読んだことがあるが、ここまでとは驚きである。笑ってしまったのは、不満ばかりの労働者が、年末の宴会のカラオケで、「東方紅をうたいながら、前進して行こう」「屍を乗り越え解放軍と共に」などと、共産党や軍の賛歌を熱唱するシーン。夢も希望もなく、絶望の労働者たちが、無邪気に宣伝の歌を歌っている。それは悲劇なのか、喜劇なのか。わからなくなる。
シナリオも、ナレーションもそしてほとんど編集もない、映像とそれに登場する人の生の声だけの作品だから、見る側がそれを解釈しながら自前の“ストーリー”を作るということになる。解釈は自由だが、かなりしんどい作業でもある。
王兵監督は朝日新聞のインタビューで「多くのドキュメンタリーは理性の支配を強く受けています。私は逆です。感性に密着し、理性の支配から自由になりたい」と述べている。
私は中国研究者という立場からストーリーを作ってみる。この映画は一つの歴史の記録ではないか。公開当初、中国国内では上映禁止だったそうだが、現在は、中国国内でもネット配信で見ることができるという。よく考えてみると、これは中国の日常だから、中国の人たちはよく知っている現実である。中国当局が見せたくないのは海外の人の眼であろう。
現在では瀋陽経済技術開発区に指定されBMWの工場なども誘致し、映画の製作当初とは大きく変貌している。この映画を歴史の記録として現在の状況と比較すれば、いかに変貌したかの成果をむしろ示すことになって当局にとって都合のいい映画になっているのではないか。
今この映画を見る日本の映画ファンは、これが中国の現状とは思わないでいただきたい。この25年で中国経済は飛躍的に発展した。そして現在の経済不振で、中国は、共産党政権は、倒れるなどと思わないでいただきたい。中国の国民はこの映画で見る通り、忍耐強く、しぶとく、したたかである。今も不満を言い続けるだろうが、25年前の苦境に比べたら、どれほど豊かになったことか。
――というのは私のこの映画の見方。製作者の意図とは大きく違っているかもしれない。
現在公開中の『青春』の舞台は浙江省の中小都市にある服飾工場。そこに周辺の農村から出稼ぎに来る若い男女の生活を、『鉄西区』と同様の手法で追っかけたドキュメンタリーだ。昨年公開されたが、おそらく製作はコロナ禍の前と思われる。こちらは3時間ちょっとの長さ。わが妻は途中から寝ていたが、『鉄西区』よりは手頃かも知れない。いずれの映画も中国の庶民の日常を映し出してくれる。我々外国人にとっては、マスコミも伝えてくれない未知の世界である。25年前の鉄西区の労働者と現在の浙江省の出かせぎ労働者の意識の変化したところ、変わらないところはどこにあるか。興味津々、中国は奥深いというのが私の感想である。