論 考

ギチョー

 衆議院議長細田氏の議長辞任表明記者会見は、疑惑塗れ、説明責任果さずとしておおかたの新聞はこっぴどく批判した。

 冷静にみると、細田氏は辞任が不本意だということ。辞任理由は闘病生活だということ。これは事実だろう。本人にとっては、病気こそが獅子身中の虫であり、教団問題もセクハラ疑惑も眼中にない。見たくも聞きたくもない。

 記者質問は、病気にたいする同情などなく、ほとんど教団問題とセクハラ疑惑に集中するから、おそらく何時間質疑をおこなっても平行線だろう。

 そもそも細田氏が隠し続けて(本人はそうではないと言うが)きたことを、素直に話すわけがない。なにか、尻尾を掴んだのでもないかぎり、疑惑を本人が解き明かすことはない。

 議長たる立場は、全国民の代表である国会議員に範を垂れるべきで、中立性や公正性、高い見識や品性が求められるはずだ――から、なんたることかと新聞は悲憤慷慨するのである。

 茶化すわけではないが、範を垂れるべき人格が問われるとしても、国会議員のなかから選ばれる次第である。国会議員のレベルをはるかに超えた範では、とても議員諸氏の手が届かないし、ならば、まあ、少しは上ということで考えると、細田氏は多数の有象無象の代表ということになる。

 つまり、この議員たちにして、細田議長ありなんである。

 末尾ながら、細田氏の闘病生活がラクになるように願う。無理して、次期衆議院議員選挙に立つのは止めた方がよいでしょう。