週刊RO通信

民進党はデモクラシーの第一党をめざせ

No.1214

 前原誠司氏が民進党代表に選ばれた。枝野幸男氏との論争点は野党間協力と消費税であったが、消費税2%の引き上げは時期が先送りされてきたこともあり、わたしは、大きな対立点として浮上したとは思わなかった。

 野党間協力に対する考え方で両者の違いが出た。率直にいえば共産党に対する姿勢が投票を左右したと思う。

 野党間協力については、理念・政策の異なる党と共同できないというのはスジ論だろうか? 理念・政策が異なるから異なる政党が存在する。そのスジ論にこだわれば、政党間の協力は一切不可能になる。しかも、次回総選挙で民進党が単独政権獲得を競える可能性は極めて少ない。

 いまはデモクラシーの党たりえない自民党の勢力をなんとしても減らしたい。もう少し、非自民党(的)政党の議員が多ければ、いまのような政府与党の横暴・乱暴は発生しない。デモクラシー確立で共闘しなければならない。

 民進党には民社党の流れを引き継ぐ人々が少なくない。1960年、日本社会党を離れた人々が民主社会党を結成、69年に民社党に改名した。民社党は94年に解党したが、紆余曲折を経て民進党の一翼を担っている。

 民社党は1973年12月に政権構想で「革新連合国民戦線」を提唱した。中央執行委員長春日一幸(1910~1989)は、「反資本主義・反共産主義・反ファシズム」を、春日節でしゃべくりまくった。これ、三反主義といった。

 ――自民党政権の打倒、資本主義体制の矛盾を克服し、左右いずれの全体主義をも生み出さない。福祉国家建設、民主的な社会主義政権の樹立をめざすところの連合政権を提唱する。

 連合政権の政治原則として、憲法を全面的に擁護し、そこに保障されている自由と民主主義および国民の諸権利を完全に保障する。基本政策は福祉国家建設にある。そのために議会制民主主義を貫徹せねばならない。――

 春日一幸は熱烈な反共主義者であった。なおかつ少数党だから、意のあるところを大いに吹聴せねばならない。以て、昔所属した社会党もビシバシ叩く。1970年代は、まだ社会党の後塵を拝していた。

 政権掌握すればなんでもありではない。議会では、異なる意見を国民の前に公開して、政権党以外でも、その見識が国の政策に反映することでなくてはならない。議会制民主主義を堅持するという主張は今日喫緊の課題だ。

 当時の労働界は戦線統一への流れにあった。単純にいえば、組合内から階級闘争的思想を取り除いて、労使協調路線を確立したいという動きである。これはいわゆる活動家段階の話で、組合員はほとんど関心がなかった。

 敗戦直後から左右のイデオロギー対立が激しい労働組合が少なくなかった。厳しくいえば、左派といってもきちんと勉強していたかどうか怪しい。右派もまた戦前の企業一家主義を担ぐような気風が強かった。

 共産党が労働者への浸透を図って組織的活動を展開するから、多くの労働組合で主導権争いが絶えなかった。いま組合内でイデオロギー対立はほとんどないが、活動が停滞しているのは皮肉な光景である。

 わたしは当時を回顧して、左右のイデオロギー対立にうつつを抜かさず、デモクラシーの成長発展をめざした活動姿勢を押し出していれば、いまの日本的政治状況は相当変わっていたのではないかと思う。

 デモクラシーの発展を掲げれば、主人公は一部の政治家や組合活動家ではない。すべての国民の課題である。組合でいえば組合員が参加する活動をめざすことになったと考えるからだ。もちろん、いまからやればよろしい。

 民進党が政界再編を狙うにしても、政見の受け皿をめざすにしても、そのためには党内論議をもっと活発にしなければならない。個人プレーではなく、チームプレーの政党に向けて前進しなければ力が出ない。

民進党こそがデモクラシーを追求している政党だ、という国民の信頼を育てることが確実な党再建と成長につながるであろう。二大政党論の幻想に浸っていてはダメだ。二大政党はデモクラシーが成熟してこそ成立することだ。

敗戦前の一致団結箱弁当的な公共は、権力の押し付けに過ぎない。前原氏は「All for all」を掲げた。これ、デモクラットが増える社会をめざすことだと思う。デモクラシー共闘をめざしてもらいたい。