本日の読売社説は「学術会議 社会に貢献する組織に改めよ」と主張する。社会に貢献するのは当然だが、政府が学術会議に入れた横槍は、「政府の言うことを聞け」というにある。
当然ながら政府は社会ではない。そこで、社会をいかに規定するか。社説はそこをうやむやにしているので、なにを主張しているのか不明になる。
さて、これはきわめてわたしの感覚的な見解だが、さっこん、知識人と称される方々の意見が鋭敏さを欠いている。つまり知識人が見えない。
もっとはっきりいえば、政府や大企業の方針らしきものに対する批判的見解が少なすぎる。
学術会議に限らない、知識人たるものは、社会のためにつねに木鐸としての役割を果たさねばならない。政府・大企業のためではない。
つまり、権力側にあらず、管理する側にあらず、光の当たる側にあらず――サイード(1935~2003)は、知識人は現状に奉仕するものであってはならず、アウトサイダー、アマチュア、ときとして現状の攪乱者たれと主張した。
さいきんの知識人はどっぷりインサイダーであって、目立たなくなってしまっている。読売の主張がそうでないことを望む。