民主主義を守る戦いだとして崇高な旗を掲げても、だれもが死をも恐れず戦争に参加するわけではない。
有名な「自由を与えよ、しからずんば死を与えよ」という言葉は真理ではない。政治的スローガンである。
なんのためにかは別として、死をかけて闘うのは個人の意思である。いかに価値があることでも、死んでしまえば、それだけのことだ。
ウクライナの人々は、この極限的な思索状態で戦争している。
報道されないが、ウクライナの巻き返しが早期に目的を達成すると考える専門家はいない。いない分、威勢のよいお囃子記事が主流になる。
プーチンの戦争は汚く、残酷である。しかし、ウクライナを称賛しつつ、一刻も早く戦争を止めようとしないのは、客観的には見殺しでしかない。
ウクライナで各州軍事委員会トップが全員解任された。徴兵免除と引き換えに巨額の賄賂を得ているという。権力で賄賂を得るのは最低の政治家だが、たまたま個人的におカネをもつ人が贈賄したことの本質は、誰もが死をかけて当然とは思っていないことだ。
いまさらではあるが、戦争だけが侵略に対する手段ではない。軍事力による問題解決や、軍事力を背景とした外交では、世界のモラルが向上するわけがない。
いつまでも西部開拓史のカウボーイから抜けられないアメリカ的思考に、世界中の世論が同調しても、なんら未来は開かない。
ウクライナ戦争が照射するのは、世界の思想的堕落だ。