週刊RO通信

主体と主体性--賃金交渉

NO.1499

 春闘が始められたのは1955年である。翌56年1月に総評と中立労連が春闘共闘委員会を結成して、まさに一気呵成に走り出した。「食べられる賃金を獲得する」という言葉が働く人たちの圧倒的な合意である。かたや経営側も企業活動が思うようにできていないときだから、働く人々の苦境を知りつつも安易には賃上げ要求に応じられない。大変な時代であった。

 暦で数えれば今年の春闘は68年目である。春闘という名前は変わらないが、内容は大きく異なっている。概観すると、1960年代までは春闘が会社の存亡を左右する事態が発生するほど厳しい労使関係だった。70年代は安定的労使関係における春闘、80年代はバブル経済で労使関係が弛緩した。

 90年代はバブル崩壊で、一挙に経営側は敗戦後の50年代に逆流した感があった。組合は状況に戸惑い、体制再構築に手間取った。労使関係は経営側ペースに大きく傾斜した。2000年代、10年代も経営側ペースの労使関係は変わらず、こんにちに至った。

 80年代を区切りとして、後の春闘は昔の名前ではあるが性質は大きく変わった。80年代から後の人は、前の人たちが取り組んでいた「賃金論」をほとんど勉強していない。

 組合役員の選出方法とも密接に関係する。前は、役員に自薦他薦で立候補する人が定員を超えており、結構派手な選挙戦が繰り広げられた。いまは、先輩役員に「懐柔」されて役員になった人が主流である。自分なりの組合論をもって登場するのではなく、ポッと出て前任者の後を追いかける。

 もちろん、それはそれで大変な活動であるが、彼がやっているのは組合活動ではなく、組合「機関」活動である。機関活動を組合活動だと大間違いして、もっとも大切な活動の根本に気づかない。真面目に几帳面に機関活動をやるほど、のめり込んでいくから、ますます活動の根本から遠ざかる。

 活動の根本とはなにか! 賃金に限らず、――組合のすべての活動は、組合員の要求に基づく――のである。連合が5%賃上げ要求を決定して、産業別組合から単位組合へ下ろす。連合の要求であっても組合員の要求ではない。下ろしたというが、組合員の反応があるだろうか。

 少なくとも80年代より前には、中央団体が賃上げ基準を決めて産別から単位組合に下ろした場合、組合員の反応は「なんや、これ、やる気があるのか!」という調子である。筆者も大組合の支部・本部活動に16年携わったが、要求額の大きさは、職場>単位組合>産別>中央団体となる。組合員は下ろされた数字をかたじけなく了解するなんてことはあり得なかった。

 組合員は90年代以後、雇用不安におびえ、上がらない低賃金に耐えてきた。これが30年も継続すれば、それが1つの歴史的習慣である。30年前に会社に入った人は最初から賃金が上がるとか、自分が要求して獲得するものだというような考えをもっていない。誰も教えてくれないからだ。

 組合内部をつぶさに見たのではないが、80年代に好況で、労使ともに賃金交渉に対する緊張感が消えたのだろう。組合は、組合員段階で「賃金とはなにか」「いかにして賃上げするか」というような勉強会を大々的に手抜きした。その翌年はさらに手抜きが重なる。その結果、組合員の理解する賃金は、「会社が儲かれば上げてくれる(かもしれない)」のであり、当然ながら、「会社が儲からなければ上がらない」のである。

 もちろん、賃金は他の生産施設・原材料・水道光熱費などと同じく、会社にすれば大きなコストであるから、可能な限り抑えたい。しかし、働く人からすれば賃金は生活の糧であり、労働力の再生産費であるから、日々の生活が円滑でない状態に近づくほど、安心して仕事に打ち込めない。働く人の40%を占める非正規労働者とネットで考えれば、働く人々の賃金はとても先進国といえる代物ではなくなっている。

 安倍内閣が賃上げを主張し始めた当時、世間もメディアも官製春闘だと少なからず批判的であった。ところが、ことしの雰囲気は、世間もメディアも期待拡大の気風である。このまま推移すれば、「賃金を上げていただく、ありがたいことだ」という気風が社会を支配することになるだろうか。賃金は、機械に差すオイルではない。機械には主体も主体性もない。