週刊RO通信

ラベルを変えてもダメ--企業人教育

NO.1948

 なに? リスキングだと! まことに慌て者だが、当初新聞でチラリと見た瞬間の感じだった。落ち着いて見直したらリスキリング(reskilling)であって、ひっくくれば職業能力の再開発・再教育のことである。政治家が教育を語るのは(教育のみではないが)、よほど勉強してからにしてもらいたい。そうでないと、半端な理解の言葉が飛び交うだけになる。

 わたしは恥ずかしながら学校教育に懐かしむほどの思い出がない。学歴は高校までで高等教育ではないとしても、6・3・3で12年学校体験がある。1つや2つは、勉強したんだよなという記憶がありそうなものだが、ない。だから母校から後輩諸君のために話をせよと注文されたときは参った。

 ところが組合活動で教育活動にのめり込むことになった。1970年、不肖25歳でおおむね40歳以上を対象とする中高年対策に取り組んだ。中高年対策という言葉は僭越だが、組合員さんが組合大会で共通して使ったのでそのまま使った。当時世間では、窓際族など冷遇される中高年もおり、中高年対策といえば、中高年圧迫と理解されていたが、わが組織においては、未来を開拓する挑戦として受け止められていた。

 この道一筋何十年という労働者人生が転換点を迎えていた。1つのスキル(技能)をひたすら磨くだけではなく、多能工たれとか、さらには直接作業から間接作業への転身が増えつつあった。熟練工という言葉に誇りをもっている人々は面食らった。実際、そのように推奨したのは会社(職制)そのものだったから、人々からすれば裏切られたと感じても無理はない。

 組合としては、従業員5万人の2割を占める40歳以上の意識を調査した。まだ戦地で戦った人がかなり多かった。意識調査結果は「健気でひたむきな中高年」と題した報告書を発表したが、組織内外に大きな反響を呼んだ。

 次に中高年の学習会を立ち上げた。当初は愚痴と不満の大行進であった。有名講師を招いた講演はそれなりに好評だったが、どうもしっくりこない。講座方式から話し合い方式に変えた。参加者が問題を設定して解決策を話し合う。これは目覚ましい学習活力を引き起こした。

 その後、開発したのがわが国初の人生設計セミナーである。世の中は変化して留まらない。人間は変化する状況に対応して、自分自身が変化したり、状況を変えたりしてきた。理屈ではわかっているが、人生というスパンで、過去現在を手段として、未来に挑戦する意識を発揮するにはなにが必要か。それを可能な限り広範に勉強会として展開するべく取り組んだ。

 たまたま入手した米国3M社の研修パンフが唯一の手がかりだった。人生設計など理屈もなにも考えている人は少ないから、まず使用するテキストを作成してイメージを喚起させよう。最初に制作したのは140頁ほどである。組合役員の手作り原稿だが、企業研修会社が購入に来る出来栄えだった。

 シルバープランと名付けた人生設計研修が本格的始動したのは1978年である。組合本部に各支部担当者が集まり、2泊3日でみっちり実践的演習をおこなう。かれらが支部へ帰ってプログラムを展開する。度外れた新規事業への挑戦だったが、いま考えても不思議なくらい円滑に始動し、一気に活動が盛り上がった。それからの10年間がシルバープランの最盛期だった。

 シルバープランは、国連UNESCOの生涯教育と同じ思想である。また、QWL(労働の人間化 Quality of working life)の組合員自身による基礎的実践であったし、さらにQOL(人生の質 Quality of life)へ勉強を積み重ねて飛躍する期待が込められていた。もちろん後のワークライフバランスの考えはすでに実践段階へ入っていた。

 今回強調したいのは、学習というものの真贋を握るのが学ぶ本人の意志にあることだ。すでにプラトン(前427~前347)が、「学習を強制するやり方はダメだ」と主張した。デューイ(1859~1952)は、「人間は自由を求めるが、束縛するのが教育である」と喝破した。

 自身の人生と共鳴するから人は学ぶ。学ぶ愉快を認識できるかどうか。点取り虫教育に目が眩んでいてはわかるまい。わが産業界の企業人教育は骨がない。本気がない。持続性がない。リスキリングがちゃらちゃら口の端に乗る事態を見ていると、やはりひとこと言いたくなった次第である。