論 考

社説のポピュリズム

これから、日本的ポピュリズムをよくよく観察して、改めるべきは改めねばならないことを主張したい。

 本日、読売は「大国による力の支配を許さない」、毎日は「『強国の論理』から脱却を」という社説を掲げた。この見出しは、いずれも大賛成である。

 ただし、両社説ともに、日本の新聞という立ち位置をすっかり忘れてしまっている。ポピュリズムの特徴は、自分の立ち位置が不明確である。

 力で支配する大国、強国の論理を振り回しているのは、米中である。それぞれに注文つけるのはともかく、わが日本の立ち位置はどうか。

 日本は、一方の大国に過剰な肩入れをしているのだから、せっかくの社説が、空振りだ。おそらく、他国からすれば、日本はなにを考えて、どういう努力をしているのかという話だ。

 日本自体のあり方をきちんと指摘しないのだから、露骨にいえば、自分はよい子して、ご都合主義的論旨、本気ではない主張だと見られるだろう。

 これもまた、日本的ポピュリズムの事例である。これでは、読者が考えるための教材にはならない。