論 考

中国のコロナ事情を考える

 中国の党・政府のゼロコロナ対策に対する市民の抗議が報道されている。いかなる政治体制であっても、ロックダウンになると人々の不満が高まるのは当然だから、抗議行動が発生すること自体は不思議ではない。

 問題の1つは、これが政治的問題に直結した扱いをされることで、日本などの外国からは習近平体制への影響を観測する視点が中心になりがちだが、そのような流れを作ることは、党・政府も好んではいないだろう。

 だから、中国政法委員会が29日に発した、「敵対勢力の取り締まりが必要」という見解は、まずは、抗議活動を冷やしておこうという動きだろう。

 ところで、かりに中国がゼロコロナを解いてしまった場合のコロナ感染拡大のリスクはきわめて大きいのではなかろうか。

 ゼロコロナ体制は上意下達で、地方末端まで徹底してやってきたわけだが、市民的対応に委ねて、そこから発生する事態に臨機応変に対応するとなれば、これは容易ではない。

 日本など、たまたまの幸運でいままでなんとかやってきたが、ここへきて感染は大拡大の兆しであり、感染総数でも短期間に世界の7位まで上がってきた。行政は理屈らしきものをこねているが、中身は空っぽに近い。さいきんの死亡者増加は世界でもダントツである。

 それを思えば、かりに中国が対策を緩和したくても、果たして体制が整うかどうか。深刻な課題である。

 昨日の世界統計によれば、日本は累積感染者数24,541,816人・累積死亡数49,289人。中国は累積感染者数3,627,519人、累積死亡数15,957人である。

 中国が、緩和した分増加すると単純に言えないにしても、実績からして、リスクが大きいのは当然である。

 米国NIAIDのファウチ所長は、パンデミックの教訓として、国民向け発言には、科学がつねに変化することをはっきり伝える必要がある。たとえば、当初、エアロゾル感染はないと見ていたが、あることがわかった。有症状者が感染拡大すると見ていたが、実は、無症状者の感染拡大のほうが多かったなど指摘した。

 また、ロックダウンはその性質上、戦略としては、感染防止体制が整うまでの時間稼ぎだとも指摘した。

 中国自身が、経済・社会的にロックダウンの限界を痛感している。おそらく街頭抗議活動以上に、党・政府内部で大論議をおこなっているのではなかろうか。