論 考

日中関係改善の根本問題

 本日は、50年前に田中角栄・周恩来両首相が日中国交正常化文書に調印した日である。アメリカとの関係で、なかなか日中戦争処理ができで、ずるずると戦後27年間が過ぎていた。

 いまも記憶に新しいが、当時の日中世論は歓迎一色であった。

 今朝の新聞社説は、いずれも日中国交正常化50年を掲げて、朝日「平和を築く重層的な対話を」、読売「友好実った原点に立ち返れ」、毎日「新たな『共存』築く努力を」と、おおむね現状を克服するべしとする論調が並んだ。

 それはよい。2つ指摘しておきたい。

 1つは、世界経済2位と3位の大国(読売)だと指摘するが、3位のほうは「たそがれ」ている。そして、それが2位に対するジェラシーを拡大してきたことを謙虚に反省しなければならない。

 2つは、日本外交の自立性である。中国には「瓶の蓋」論がある。アメリカが瓶の蓋であるから、中米関係がよければ日中関係はよくなるというものだ。

 重層的対話にせよ、原点に返るにせよ、新たな「共存」にせよ、日本がしっかり自分の言葉で語らなければ、外交大国中国の信頼は得られない。

 日中国交正常化を歓迎した世代はすでに中軸を去った。中国の軸となっている人々も、前世代の友好センスとはおおいに異なる。

 とくに、15年戦争を知らず、考えたことのない人が両国とも多数派だ。奇妙なことだが、国交正常化当時よりも日本は対米従属意識が強まっている。

 極端にいえば、国交正常化の精神的遺産の出番があるとは考えにくい。軍事的安全保障論議ばかりに熱を上げていると、事態はますます悪化するのみだ。