週刊RO通信

政治を腐らせる官僚主義

NO.1478

 エイゼンシュテイン(1898~1948)のモンタージュを駆使した映画『戦艦ポチョムキン』が世に出たのは1925年だった。筆者が見たのはそれから40年後で、すでに映画技術に驚くわけはないが、モノクロ字幕の単純素朴な映画であるにもかかわらず、強い刺激を受けた。第一次ロシア革命の有名な出来事である黒海艦隊ポチョムキン号における兵士たちの反乱とオデッサの人々の動きがいきいきと感じられた。

 映画のモチーフとなった事件は1905年の話である。芸術の発達は時代の生命力を反映するという命題がある。スターリン(1879~1953)が書記長に就任したのは1922年で、ソビエトの政治はすでに芸術の生命力を失わせるような動きを大車輪で遂行していた。創造は精神の力であり、精神活動の活発化は自由を不可欠とする。映画は現実政治の堕落を浮き彫りにした。

 トロツキー(1879~1940)の著作『裏切られた革命』を再読した。彼は革命を志すも19歳で東シベリアに流刑される。脱走してレーニン(1870~1924)と合流し革命に邁進するが一度袂を分かつ。その際、1904年の著書『われわれの政治的課題』で、独裁政治の危険性を早くも洞察した。1917年ロシア革命で再び2人は連携して精力的に革命を推進した。レーニンはスターリンを掣肘しようとしたが、病に倒れた。

 スターリンの得意技は、場当たり主義・日和見主義で、理屈は後から貨車に積むの実践家として記憶される。当然、論理の一貫性を欠くが、彼の政治闘争は論拠の闘いではなく、利害の力の闘いである。なによりも官僚の権化であった。彼は党機構を自分の恣意的に運用することに全力を傾けた。

 自分を支持する者を徹底的に集める。難しい理屈を並べるよりも利害を提示するのが手っ取り早い。利害に関しては、蛍の光窓の雪の努力をしなくても、わかりやすい。自分に従わない者に対しては抑圧・弾圧で報いる。悪名高いスターリンの粛清の根本は、利害関係を共有できるか否か。1つの粛清が次の粛清の種を撒く。粛清のための事実捏造技術が芸術的に高まる!

 次は官僚支配である。本来、ロシア革命においては、官僚は労働者の下僕・代理人として誕生した。しかし、当たり前ながら、下僕・代理人としての使命を貫くには、これまた民衆革命家としての精神や固い決意を必要とする。自分の考えで立ちたいし、それに利害得失が絡む。機構内出世主義が官僚的思考である。知的レベルの高い彼らは、民衆を支配する立場へと変身する。

 もともと党は官僚に対して、健全な政治理念を注入し、まちがいがあれば是正する役割を担っていたが、スターリンが党を自分党にし、官僚もまた自分の意のままに動くように従属させたから、当初の革命時のような溌剌たる使命感が消えうせる。挙句は「同志スターリンの指示はすべての人間にとっての掟である」という次第になった。

 革命初期の志を捨てない古参党員や、場当たり・日和見的政策に対して異議申し立てをする人々は、スターリンのマシンと化した官僚機構によって粛清の対象となる。レーニンは官僚機構をなくすることに強い関心を抱いていた。いわく、警察・軍隊・官吏は内的矛盾が必然的に生んだのであり、そのような規制的機構が民衆を支配しないことこそを理想とした。

 しかし、ここに至っては、スターリン的クーデターが成功して、反革命へ一目散だ。しかも、粛清の言葉として使われたのは、反スターリン派を反革命と断ずるのだから念入りな皮肉である。笑えない喜劇である。スターリン=幹部崇拝の体質がスターリンの時代であった。

 『裏切られた革命』を読んでいると、プーチン的ロシアを飛び越えて、なにやら身につまされる。もちろん、こちらは粛清というような極端な話ではないが、党・官僚機構が実質的に一体化すると、政治の主体である民衆の出番がないのは必然である。それを改善し、いきいきした政治を創造するのは、結局、民衆1人ひとりの曇りなきまなざしという理屈になる。

 民主主義も、市民社会の段階を超えて前進しなければならない。トロツキーは永続革命論を主張したが、民主主義が「人間の尊厳」に立ち、本当にそれをめざすのであれば、まちがいなく永続革命だというべきだ。「他山の石をもって玉を攻(おさ)むべし」という次第である。