論 考

偉大な国の真実と虚構

 国を偉大にするとはどういうことか。

 ゴルバチョフ氏は、まちがいなく、言論の自由を確立すべく立ち上がった。志半ばで成功しなかったが、スターリンが完膚なきまでに市民的自由を奪った荒れ野に種を撒いた。

 プーチン的国家の偉大は、軍事力による領土拡大で、しばしばピョートル1世の事業と重ねられる。これは、19世紀以前の国家観である。

 ゴルバチョフ氏は、世界に先駆けて1957年スプートニクを打ち上げたソ連の市民が、歯磨き粉や石鹸に不自由する奇妙な国家を憂えた。

 ゴルバチョフ氏とプーチンの違いは明らかだ。人間の尊厳に基盤を置いた国造りをするか、国家主義の道を突き進むか。

 いずこの国に生まれようと、人々の基本的な考え方は、日々の生活が滞りなく歩め、戦争の心配がないことだろう。

 偉大な国とは、他国の人が「あの国で暮らしたい」と思う国だ。軍事力でプーチンが主張するロシアの版図を獲得したとしても、他国の人はプーチンのロシアを羨望したり、尊敬することはない。

 国家主義は、畢竟、個人的野心を追求するには好都合の理屈だが、普遍性がない。ロシアの人々が肩身の狭い気持をもたねばならぬことも無視できない。

 ゴルバチョフ氏とのお別れに集まった数千人の人々は、静かに、しかし明確にプーチン的偉大なロシアを否定したのではあるまいか。