論 考

顔を洗って出直せ

 聖域だらけの予算概算要求基準で、今朝の朝日新聞社説は、「役割放棄も同然だ」と批判する。その通りである。

 だいたい、聖域とはなんだ! 神聖侵すべからずで、比喩的に手を触れてはならない意味である。立法ではなく、行政がそのような煙幕を張るのは分不相応の掟破りである。こういう比喩を不用意に使う岸田内閣は、暑さボケがあるにしても、きわめて程度がわるい。

 自民党には昔から宿痾がある。選挙で勝てば、すべてお任せくださいという、荒っぽい、小さなコミュニティのなれ合い的発想である。

 では、議会はなんのためにあるのか、考えてみればよろしい。民主主義になって77年過ぎても、相変わらずの無知蒙昧ぶりだ。

 しかも予算には余裕がない。切羽詰まっているにもかかわらず、危機感がない。自民党の面々は、みなさん優秀なオツムをしておられるはずだが、ステーツマンとしての確たるセンスがない。

 こういう仕業を民主主義でないというのである。