論 考

国葬反対に一票

 儀礼は儒教では、もっとも重要な道徳的観念とされる。

 礼の精神は相手に敬意を表する。これが社会に浸透すれば、おかしな問題は発生しない、理屈である。

 孔子(前551~前479)は、礼は人の踏みおこなうべき道である。そして、仁を自己抑制と他者への思いやり=忠恕とした。なるほど、めざすところは立派である。

 しかし、政治家という人種が、礼と仁を弁えているか。たぶん、非礼・非仁に大きく傾斜していると、どなたさまも考えられそうだ。

 安倍氏を国葬にするならば、その仕事を冷静、精緻、丁寧に評価するべきだ。あえて言うが、氏は民主主義の政治家ではなかった。

 権力を恣意的に駆使し、論理でもないアベノミクスを押し出し、目下の日本経済はガタガタである。

 安倍政治をきっぱり清算するために葬るのならば意味はあるが、結構な政治をおこなった人物としての国葬は、反対だ。

 自民党内部の保守派を忖度した岸田決断らしいが、日本政治のが混乱へ向かうのを危惧する。