論 考

教授の意味不明な主張

 政治学者の宇野重規教授は、「誰がなにに対して挑戦したのかはっきりさせないで使う民主主義論は常套句にすぎない」と語る。

 そして、安倍狙撃事件について、意思表示の手段として暴力が使われるのは民主主義の敗北だと断ずる。

 ここでいう民主主義の敗北の主語がないのでよくわからない。

 民主主義は、ありがたい制度だが、まさに制度である。運用主体、つまり民主主義社会において、民主主義をありがたいと思う人が敗北したのだろうか。

 狙撃事件を起こした人が、民主主義の信奉者であって、にもかかわらず、彼が暴力に訴えたという事実を考えれば、彼にとっては民主主義者としての敗北である。しかし、民主主義自体が敗北したわけではない。

 政治的目的でなくても、民主主義下において、殺人・暴力はなくならない。これを民主主義自体の敗北とは言うまい。

 学者は、思うようにならない政治的状況に対して、同様の事件が連鎖発生することを危惧されているのだろうが、社会全体に政治的暴力事件が当然の事態になれば、その社会の人々の民主主義が敗北する。

 そうであるなら、学者は、民主主義の敗北という常套句的表現を使って、高邁そうだが中味のないことを言うのではなく、むしろ、なぜ暴力が発生するのか。暴力はダメだ。ついては、自分自身の生命が大切なように、他者の生命を尊重せねばならず、人間の尊厳=基本的人権の大切さを説くべきだ。

 基本的人権が果たして、人々に十分に浸透しているか。していない。政治家が、本気でそれを大切にしているか。していない。学校できちんとそれを教えているか。していない。

 自民党を名乗っているが、同党の右派諸君は、基本的人権を主張する人を左翼だと罵倒する。これが、民主主義の危機であり、今回のような事件を引き起こす1つの背景なのだ。