論 考

「なぜ」の視点を欠く大新聞

 週刊誌系列などでは旧統一教会のアコギな商売を暴露する記事が次々に出る。しかし、大新聞はまったく扱わない。

 もちろん暴力や殺人は許されないが、そのような行動に意志を追いつめ(られ)た本人の事情を無視するのは、情報操作である。

 暴力や殺人を社会からなくすためには、事件が発生した場合に「なぜ」そうなったのか。背景や理由、原因を追求するのは当たり前だ。

 見たくない事件が起こった。起こってしまえば仕方がない。というわけで、可及的速やかに過去の帳に隠してしまうならば、なんら改善されない。

 ピント外れの感じは否定できないが、政治家や大新聞は、少なくとも暴力から民主主義を守れと大声疾呼している。真摯に事件と対峙してこそ、民主主義を守ることに通ずる。

 目下のような非論理的な対応が、大きな意味では、わが国と社会の活力を削いでいる原因である。これが社会の闇そのものである。