論 考

令和のメッキ民主主義

 評論家の長谷川如是閑(1875~1969)は、いわゆる大正デモクラシー(第一次世界大戦後から大正年間)を、厚化粧みたいなもので中身が伴わず、足が地に着いていなかったと酷評した。

 如是閑の著作からその真意を考えてみると、民主主義は人間の尊厳=基本的人権に立脚するのであり、単なる政治制度だけでは性根が入らない。1人ひとりが、人間(自分自身)の尊厳を希求するのが性根だというにありそうだ。

 安倍氏暗殺事件は、政治家と宗教団体の「深い闇」(関係)を改めて考えさせた。警察当局がどのくらい掘り下げた調査をするかわからないが、暴力を憎むというだけで思考停止を起こしたのでは、全容解明になるまい。その闇の部分が、日本的デモクラシーと強い関係がある。と、わたしは考える。

 さて、少し話が飛躍するが、その問題とは切り離しても、如是閑流に表現すると、令和デモクラシーもまた厚化粧、普遍的価値というには程遠いメッキ民主主義だと言うべきである。

 純粋野党が再生する手がかりは、現代のデモクラシーをいかに分析し、どのように中身のあるものに育てあげるかにこそある。岸田氏は、安倍氏の遺志を継ぐ云々と発言しているが、妙な継ぎ方をすると、メッキが剥げるだけに止まらず、盛んに批判している権威主義国家への坂道を転がる危惧が強い。