週刊RO通信

参議院議員選挙戦終盤の思い

NO.1466

 例年どころではない猛暑続きで、参議院議員候補者も選挙チームも非常にきつい選挙活動をしておられる。わたしも選挙活動の体験は少なからずあるが、不思議に暑さ寒さのきびしい時期が多く、思い出すと、ひりひりする。ラストスパートは積み重なった疲労との闘いだ。選挙戦は大変だが、政治家としての本番は選挙戦後だから、燃え尽きずに闘い抜いてほしい。

 選挙戦の前は、非力の野党が、野党の在り方をめぐる世間の風向きに神経を使いすぎた。わが道をいく根性を発揮できず、相対的地位にばかり気を取られて、野党同士の違いを出すことに熱を上げた。野党の違いなど大同小異、競争する相手を間違えてはならない。立憲民主と国民民主のいざこざなどナンセンスの極みである。野党たることはポーズではなく根性である。   野党たる事実にしっかり足をつけて、国政の基本から大論戦を挑んでほしい。

 こんどの選挙に勝利すれば、岸田内閣は盤石で向こう3年間選挙なし、おおいに政治を推進できるという解説がある。本当にそうだろうか。素人予測であるが、選挙のてんまつにかかわらず、岸田政権は大波に洗われる可能性が高い。ここまでは政治スケジュール優先で動いてきた。国会でも大論戦らしきものがなかった。しかし、天下の情勢は大混乱である。忘れては困る。

 くわえて自民党総裁・首相としての岸田氏の能力問題がある。人々がコロナ慣れして、しばし感染事情が安定していたから、安倍・菅氏のようにコロナで追い詰められずに来たが、コロナ感染問題発生以来を徹底検証して、司令塔を作るという公約が、まことにちゃらんぽらんであった。メディア自身がこの問題の大切さに注目せず手抜き報道したから騒動にはならなかったが、岸田氏のいい加減な性格を見抜いた人は決して少なくない。

 かの新しい資本主義について、わたしは当初から大風呂敷だと指摘したが、これまたメディアが、なぜか大目に見た。安倍時代8年間の慣性・惰性でメディアが惰眠を貪ってきた。そもそも新しい資本主義というなら、資本主義の大革命である。似たり寄ったりのビールの宣伝並みに見ているとしか考えられない。新聞社には経済学に精通した人材が少なくないはずだが、真正面から、「新しい資本主義とはなにか」と疑問を呈した記事がない。小さな町の誤送金事件に割いたエネルギーの一部でも割けば、参議院議員選挙前に、まちがいなく大きな論争点になったはずだ。これも少し考える人には岸田ちゃらんぽらんとして、静かなダメージになりつつある。

 岸田氏の外交力にはおおきな疑問符がつく。6月の核兵器禁止条約第一回締約国会議に対するつれない素振りは大失敗である。ドイツ・オランダ・オーストラリアに北欧諸国がオブザーバー参加して、核保有国と非核保有国との橋渡し的役割を果たした。核は今後増加に向かう(ストックホルム国際平和研)という予測があるなか、わが国は参加しなかった。核抑止論が破綻しているのは明らかである。日本は保有国と非保有国の架け橋になるというが、なにもやらず、ヤルヤル詐偽の手口だ。しかも岸田氏は被爆地出身が売りだ。これでは意図的に期待させる手口で、被災者に対して無礼である。

 NATOのオブザーバーには喜んで馳せ参ずる。NATOが日本をアジアのパートナーとして目を向けたと、まるで1902年(明治35)の日英同盟並みのセンスである。軍事同盟であるNATOの外交力がたいした効果を発揮していないし、軍事同盟の拡大が平和につながると本気で考えるのであれば、岸田的平和理論の底が知れる。喫緊の問題は、ウクライナ戦争を止めさせる手立てを講ずることだが、アメリカはじめ西側にくっついていくだけだ。岸田氏も、ロシアにスカタン食らった安倍氏と同様、本当に外交力・センスがあるのか甚だ疑問である。日本外交は近視眼場当たり主義でしかない。

 電光掲示版的ニュースの読み方をする人が多いから、その場しのぎの答弁でなんとかやれているが、状況はどんどん動く。プーチンによるサハリン2の召し上げ策を、政府は揺さぶりだと論評する。わかっていない。日本はすでにウクライナ戦争のプレーヤーだ。第三者が大所高所から制裁するのではない。制裁は戦争である。こんな重大なことも弁えず、日本の安全を守ることができるものか。人々が岸田・自民党の危なさにいつ気づくか。危機感なき政治に気づいたときが波間を漂流していないことを祈るばかりである。