論 考

抽象的議論をこそ

 男子平均寿命が50歳を超えたのは1947年である。戦前までは「人生50年」であった。1978年には平均寿命が男72.97歳、女78.33歳、30年間に20歳以上長生きとなった。

 1970年高齢者人口65歳以上の全人口に対する割合が7%を超えて、高齢化社会になった。高齢者人口が14%を超えると高齢社会である。1995年に14.6%。2010年には23%になり、21%を超えたので超高齢社会になった。

 わたしが所属した組合では1971年から企業内中高年対策に取り組み、高齢化社会への軟着陸をめざした。この取り組みは少なくとも1990年代まで、社会的に大きく注目された。しかし、本格的に取り組みをした組合はごく一部であった。

 当然ながら、このような問題は場当たり的に手を打てばパッチワークにしかならない。事実、目下の超高齢社会において、社会が円滑に動いているとは到底言えない。

 昨年の合計特殊出生率が1.30で、6年連続下がっている。1975年に2を下回ったのだが、社会的な注目を集めたのは1990年の、いわゆる1.57ショックである。

 いろいろ論議はあるが、出生率が上がる兆しはない。安倍内閣で希望出生率という、トンチンカンを現実化した無策が打ち出されたが、もちろん、こんなものが社会的雰囲気を変えるわけがない。

 抽象的ではあるが、超高齢社会にせよ、少子化にせよ、煮詰めれば、人々の生き方に収斂する。元気な生き方をめざす気風が大事だ。しかし、見るところ、この半世紀の日本人的気風は非元気へと傾斜している。

 人々が生産社会にどっぷり漬かって、消費社会=生き方に対する関心が低いままでは、事態が反転する期待は持てない。これらの課題は、抽象的な議論をおおいに重ねなければ活路は開かない。というのが、わたしの体験則である。