論 考

風呂敷には、最初から中身がなかった

 岸田流「新しい資本主義」について、昨年11月の『月刊ライフビジョン』で、「大風呂敷に過ぎない」ことを指摘した。

 新聞は、分配か成長かで、自民と立憲が競い合うと、トンチンカンな論調を掲げていたが、ここへきて、アベノミクスと同じじゃないかと批判する。

 これも、前述の小論で、安倍流の金融緩和・財政出動・成長戦略に、所得再分配をくっつけただけだと指摘しておいた。

 予想ではない。岸田氏が主張していることをみれば、はしめから大風呂敷で中身がないのははっきりしていた。

 家計金融資産が2,000兆円ある。もし、運用利回りが1%に戻れば、家計は20兆円の財を増やす。これも指摘していた。しかし、日銀は利率を上げない。上げられない。

 日本経済は、安倍8年間の野放図政治、経済無策政治の運動線上から、少しも変化していない。冷静に現状を見れば、悲観主義者でなくても、日本経済が沈没路線を進んでいることは明らかだ。

 しかも、ウクライナ戦争以前の当時から防衛費2%説をぶつ自民党政治家が登場していた。ウクライナで調子づいただけである。

 おかしな政治が幅を利かせている。それでも、人々はおっとり構えておられる。電車に乗れば、8割以上がスマホに熱中しておられる。いったい、どんな情報をキャッチしておられるのか。奇妙奇天烈な社会である。