論 考

グロテスク・デモクラシー

 米国合衆国憲法の修正第2条には、――規律ある民兵は、自由な国家の安全とって必要であるから、人民が武器を保蔵し、また携帯する権利は、これを侵してはならない。――とある。

 制定されたのは1791年である。1776年に独立宣言書が発表され、1781年に独立戦争が終わった。1789年に第1回連邦会議が開催され、初代大統領にワシントンが就任した。その2年後である。当時米国には陸軍がなかったので、1人ひとりが国を守ろうという理屈のもとに制定された。

 NRA(全米ライフル協会)は、Guns dont‘s kill people, People kill peopleを掲げて、銃に責任はない。自衛のために銃を保持する権利ありと意気軒高だが、憲法の由来は、本来自分が自分で自分の身を守るというよりも、国家への民兵としての意義を持っていたはずで、「悪から身を守るための」云々は拡大解釈だろう。

 悪から身を守ることが問題視されているのではなく、悪が銃を使って危ないということが問題である。トランプは「銃規制の努力はグロテスクだ」と語ったが、銃規制の努力がグロテスクに見えるような人々の人間観・社会観はまったくグロテスクである。議論がかみ合わない米国的民主主義を憂える。