論 考

拡散から収斂へ--人間としての知恵

 フィンランドもスウェーデンも、考え抜いた結果として、NATO加入申請をするのだろう。とは思うが、集団的安全保障は、自国の負担が軽くなったり、まさかのときに他国にお任せオーライではない。

 話は逆で、対立する集団の片方に加入することによって、新たな危険を背負い込むわけだ。

 両国とも、過去のソ連との関係史があるから、その時点へ思考を戻したことになる。

 ウクライナがロシアに攻撃されたのは、ロシアからすればNATO加盟阻止が目的であった。

 ジャーナリズムは、両国のNATO加盟が実現すれば、ロシアにとって藪蛇だという論調である。両国にとっても、問題が解決方向へいくのではなく、逆に複雑化し、無秩序世界に飛び込むのだから、なんとも皮肉な話だ。

 いまは、ウクライナとロシアの戦争の一進一退に熱を上げているが、そのまま進めば、訪れるのは墓場の平和である。そうしないためには、停戦、和平、そして雨降って地固まるという展開をさせねばならない時期にある。NATOの結束が固まると単純に喜んでいるわけにはいかない。

 回答はすでに目の前にある。1国にせよ、集団にせよ、敵国を想定して軍拡をすれば、するほど、期待した平和が遠のくという構図だ。

 現代世界に生きる者として、やがて来る世代の人々に、悪い世界を送るという情けない事実がまことに残念無念である。

 議論は、それぞれが意見を発表して拡散しても、やがて収斂させねばならない。ウクライナ戦争も、収斂させるための知恵をこそ絞りたい。