週刊RO通信

場当たり的軍拡論に異論あり

NO.1458

 ロシアによるウクライナ戦争が始まってから、危機的状況だから軍備拡大、仮想敵国への対抗的軍事戦略を強化しなければならないという調子の発言が増えている。他所が火事だから、当方も直ちに消防車出動の準備をせよと言わんばかりの、あまりにも場当たり的雰囲気が醸成されるのはよろしくない。

 第一に、やらねばならない議論は、軍備拡大論や、そのために箍(たが)をはめている憲法を骨抜きにする作業ではない。ロシアが、なぜウクライナ戦争に踏み切ったのか。その直接の原因、中長期的な理由について、腰を据えきっちりとした研究・検討がおこなわれるべきである。

 テレビに登場するコメンテーターの発言が、果たして原因・理由について的確なものかどうか。きわめて疑わしい。ただちに取り組むべきは、一刻も早い停戦、和平プロセスを開始することであって、ウクライナの次は日本が危ないみたいなトンチンカンな危機感を煽るべきではない。

 政府与党を中心とした動きは、例によって、日米同盟の強化であり、ウクライナ戦争については、西側、G7、とりわけアメリカの考え方に沿って、結束を固めるというのであって、日本の政界の独自的見解はまるで存在しない。バスに乗り遅れるなというだけである。

 たしかに、事前の予想を覆して、2月24日にロシアが戦争を開始したのは事実であり、その衝撃は大きかった。しかし、戦争が以前からの歴史的文脈をもっていることは間違いないのであって、ドンパチが開始すれば、歴史的経緯はチャラだというわけにはいかない。

 戦争は、交通事故や天変地異ではない。突き詰めれば、権力を掌握している人間が意志決定して、その国が戦争を開始した。いま、防衛と称して、自国の防衛力を格段に膨張させたところで、軍事力による非戦というものが実現するわけではない。

 わが政治家の最大の特徴は、PlanとDoがあって、Checkがない。見事なほどに、検証する思想と行動が欠落している。安倍氏らを中心とする諸君の歴史認識のトンチンカンは、理屈を言うまでもないが、それが現実政治で幅を利かせるのは、国政においてCheckがほぼ存在しないからだ。

 政治についてさしたる関心を持たない方々でも、たとえば子どもでも、「なぜ、あんな戦争がおこなわれているのか?」という疑問を持っている。プーチンという独裁的政治家を支持するロシア国が、戦争を始めたのだというだけでは、率直な疑問にまったく答えられていない。

 国会がろくな審議もせず、お手盛り的バラマキ政治が展開される。そもそも、骨太な政策を切望する声はあるものの、わが国会で、骨太な議論がおこなわれた事例を見ない。いま国会でおこなうべき骨太の議論とは、ウクライナ戦争がいかなる歴史的経緯から発生したかを話し合うことだ。

 テレビなどでの、著名人による訳知り解説でわかったつもりになって、ただちに、わが国の防衛力強化の方策を論ずればよろしいと短絡するのは、なにも考えていないのと同じだ。停戦、和平のプロセスを進めるためには、戦争の背景・原因をしっかり理解しなければならない。

 日本国憲法の平和主義を世界に敷衍する知恵と力を発揮できず、憲法に馬齢を重ねさせた経緯を恥ずる謙虚さがあってもバチは当たらない。敗戦によって得た民主主義と平和主義をぞんざいに扱ってはいけない。そんな態度では、あの戦争に斃れた方々に申し開きができない。真面目でありたい。

 世界秩序が云々される。そこで、その軸たるアメリカに、いかなる平和を実現するかという目標があるだろうか。ウクライナを戦禍に引きずり込んだ大きな原因として、アメリカの対ロシア戦略の責任を一切合切無視することはできない。アメリカの軍事政策は、自陣営の安全保障(経済も含む)のみに奔走し、それの遂行のためには、世界平和や諸国を犠牲にしても顧みない政策である。アメリカは、あまりにも戦争による経済的メリットに慣れ親しみ過ぎた。それは、自国本土がつねに安泰だからでもある。

 このままでは、世界の平和秩序を回復するどころか、ますます泥沼に向かっている。オツムを日米安保体制に沈没させてはならない。まず、議会での真剣な議論を開始してもらいたい。