週刊RO通信

誰が本気で停戦を住めるべきか

NO.1455

 西側は、全面的にウクライナ支援で、ロシアを全面的悪玉として思考している。経済的制裁もまちがいなく戦争手段であり、ロシアからすれば、悪いことをしたから制裁されているとは考えない。まして、西側はウクライナへジャンジャン武器を供与するのだから、どう見ても戦争当事者である。

 ゼレンスキー氏がしばしば言及するように、プーチンが始めた戦争だから、プーチンが止めるべきだというのはその通りである。プーチンは、おそらくは、短期電撃的決戦を構想して作戦に踏み切り、比較的早期停戦を図るつもりであっただろうが、すでに戦闘は50日を超えた。

 言論統制しているにせよ、ロシア国内で圧倒的支持を得ているプーチンとしては、それなりの軍事攻撃の成果が得られなければ、自分から攻撃を止めるとは言わない。強権的支配者は自分が作った大義名分を壊せない。

 ゼレンスキー氏にしても、甚大な殺傷や破壊を被っており、まさに正当防衛という正義の戦争であり、いろいろ伝えられるプーチン的要求に停戦・和平を意味するものが全然ない事態において、戦闘を止めるとは言えない。

 部外者の無責任と言われるのを覚悟でいえば、戦争は外交の1形態でもなんでもない。食うか食われるか、勝つか負けるかしかない。ドンパチやっているうちに、戦争は、それ自体が目的化する。戦争の慣性を変更するのは、きわめて大きな意志と力を必要とする。ウクライナ・ロシア双方共に、甚大な被害を積み重ねているから、泥沼でもがいているようなものだ。

 権力のカケラも持ち合わせない普通の1人としては、連日、悲惨な報道を受け止めるだけで、なにもできない。お手上げ、無力感や絶望の渦中にある。戦争のない生活をしている人々にとっても、戦争がもたらす価値の破壊を軽く考えるわけにはいかない。戦争を止めさせるために結束せねばならない。

 日本共産党は、NATO(軍事同盟)の東方拡大が、プーチン・ロシアの侵略の免責にはならないと明快である。それはその通りで、武力による恫喝合戦が常態としても、実際の戦争を始めた側が、おおかたの怒り・非難を浴びるのは必然だ。そもそも正義があるとしても、戦争が作り出す罪が消えることはない。戦争自体が犯罪である。個人対個人の衝突における正当防衛論を当てはめて、悪をやっつけろという理屈だけで決着できないのが戦争だ。

 なんとなれば、ウクライナはNATO東方拡大の文脈に巻き込まれた。西側はウクライナ支援に傾倒しているが、それは、ウクライナが、アメリカ・NATOの代理で戦争していることを帳消しするものではない。寄ってたかって、ウクライナの英雄的戦いとして持ち上げたところで、中身は、ウクライナを見殺しにしているとの批判から逃れられない。

 さらに日本共産党は、世論の力で侵略を止め、侵略者の責任を取らせ、平和の国際秩序を回復すると主張し、ロシアの覇権主義を批判する。しかし、この戦争の原因の根本を考えれば、アメリカの覇権主義を看過できない。見解からは、日本共産党が共産主義を信奉することで、ロシアや中国と混同されてはかなわんという本音が透けて見える。しかし、それでは、西側世間のプーチン・ロシア悪玉論となんら変わらない。

 もちろん、この際日本共産党が、停戦・和平のための直接的手立てを持ってはいないだろう。いわば、普通の人々のやりきれない気持・立場と同じだということも十分にわかっている。そうであれば、やはり、停戦・介入の動きを起こせという主張をするのが当然である。

 そのためには、直接戦争を始めたのはプーチン・ロシアであるが、停戦させるための段取りに注目するならば、まずは、プーチン・ロシアからして本敵たる、アメリカの行動を要求せねばならない。対プーチン・ロシア非難大合唱と同列に並ぶだけであれば、有益な主張をしていることにならない。

 たとえば、アメリカが、中国やインドを停戦への介入に動かすためには、両国のみならず、世界人口のざっと半分の国々(多くは途上国)が、西側に積年の不信感・恨みを持っている事情を変えるように働きかけねばならない。ロシアや中国の覇権主義も、アメリカの覇権主義も、いずれも正義ではないからだ。アメリカはじめ西側は、戦争のために結束するのではなく、停戦・和平に向けて結束をするべきである。