週刊RO通信

政治家は「理性」を取り戻せ

NO.1454

 プーチンは、攻略目標をドンバス地方に絞って、形を作り、第二次世界大戦における対独戦勝記念日である5月9日に、勝利宣言を発するという観測が出ている。しかし、勝利というにはみじめで、国内向けプロパガンダの首尾を整えたとしても、経済失速、やがて人々の生活困難は必至で、まちがいなく大敗戦である。プーチン自身が追い込まれている。

 アメリカは、ウクライナの徹底抗戦にご満悦か。取返しのつかない惨劇の処理として、雨降って地固まる和平へ導く心積もりがあるようには見えない。中国もインドもそれをお見通しだから、おいそれとは動かない。

 ロシアと米・NATOを巡る確執が真因だから、米・NATOがロシアとの関係修復に動かないことには、和平の道筋は展望できない。また、ロシアの大方の人々は、プーチンの野望とは無関係に、ささやかな生活の安定を求めているのだから、プーチン機構とロシアの人々を同一視してはならない。

 戦争を始めたプーチンが、はい止めましたではすまない。わが報道では、まことにすっきりとプーチン悪玉論、プーチン叩きに熱心である。戦争問題の本質を考える記事の出番が、まるでないのは遺憾だ。ロシア的プロパガンダがけしからんのと同様、西側的プロパガンダもよろしくない。

 戦争犯罪、戦争犯罪人という言葉が飛び交う。本来、戦争自体が犯罪である。複雑な国際関係において、100%の「善と悪」論が舞い上がるのは思考停止である。もう少し、内容に深みのある記事がほしい。

 戦争犯罪は、国際条約で定められた戦闘法規に違反する行為とされる。たとえば、降伏者の殺害、無防備都市の無差別攻撃、禁止兵器の使用などである。侵略戦争のような国際法違反の戦争をおこなう罪、武器を持たない市民に対する大量殺人、奴隷化、政治・人種・宗教上の迫害など人道に対する罪である。くどいようだが、そもそも戦争自体が犯罪である。

 少なくとも、米・NATOは、プーチンの問題意識が米・NATOの従来の仕打ち、東方拡大にあることは重々承知していたはずである。もしも、NATOを巡る両者間の協議を開始できていれば、かくもたくさんの人々が戦禍に巻き込まれなかった。これを見過ごすわけにはいかない。

 西側が一致結束して、平和的反撃に成功しているというのんきな見方があるが、平和的反撃ではない。きっちり、戦争に参加している。ロシアは、戦争を始めたから制裁されているとは考えない。後ろから武器を供与してウクライナを助けるのは、精魂尽き果てるまで戦争せよというのと同じだ。

 盛大な宣伝をしている間にも、殺傷と破壊が続く。ウクライナをNATOに加盟させると煽ったのはアメリカだ。政治的には、いまのような方法が当然ありうるが、ウクライナの人々は停戦しないかぎり助からない。道義的には、絶対に許されない。本当の平和的反撃を云々するのであれば、西側は、停戦工作に徹底邁進するのが筋道だ。本気があるのか?

 プーチンは、アメリカの狙いはロシアの絶滅だと語った。ならば、かりに、プーチンがウクライナを抑え込んだとしても、アメリカはなおさらロシア潰し工作に精出すに違いない。とはいえ、ロシアもアメリカも相手を全面的に潰すまで戦争できるわけがない。行き着く先は共倒れでしかない。回答は、平和共存である。お互いの悪意に基づく限り解決できない。

 野心に満ちた政治家にとって、自分の物語を作り、推進することは愉快だろう。プーチンを例にとれば、たかが、ロシアの政治街道を頂点に上り詰めただけで、万能の人間になったわけではない。うぬぼれである。問題は、世界中にミニ・プーチン政治家が掃いて捨てるほど存在する。

 わが政治家諸氏の右往左往ぶりもお話にならない。この機会に軍事的防衛策を強化するなど、場当たり的・枝葉末節の議論である。まずは、ウクライナで進行中の戦争の原因をきっちり論議するべきだ。それができないのに、軍事力だけ拡大するのは――政治家に刃物――であって、危険極まりない。

 アメリカは、膨大な軍事力によって、経済自体が左右される。容易に軍縮できない体質だ。つまり、軍事ケインズ主義である。いわば、つねに戦争が起こってほしいという無意識の願望に突き動かされている。必要なものは、武器ではない。政治家の精神溌剌とした平和創造への哲学である。