週刊RO通信

単純・拙速、連合の参院選基本方針

NO.1443

 報道によると、21日連合の参議院議員選挙基本方針素案が出された。政治動向が依然不透明という状況において、支援政党を明記せず。支援政党と政策協定を結ばず。人物本位・候補者本位で推薦する。歴史的対立関係にある政党(共産党)との共闘の候補者を推薦しないなどが挙げられている。

 衆議院議員選挙での野党の不振の原因を、全て野党共闘にありと分析しているのは明白で、ご都合主義である。内輪の事情をいえば、民間労組と官公労組の対立が深刻化するのを避けたい、選挙で連合組織にヒビが入ってはよろしくないというわけだ。政治的動向を変えて行く意欲が見えない。

 組織はしばしば船に、そのリーダーは船長に例えられる。700万人組織の連合は巨船である。連合初の女性会長芳野氏は、船長として就任間もなく衆議院議員選挙の大波を乗り切らねばならなかった。躍進を期待された野党にブームが起こらず、危機意識でまとまった自民党が組織力を発揮した。

 立憲民主党中心の野党共闘が力を発揮できなかったのは事実である。だからといって野党勢力の不振に全て原因と責任を負わせるのは不当である。わたしの見るところ、野党最大の支援勢力である組合の活動自体が不振であることを指摘しなければならない。その反省・自覚が連合にあるのだろうか。

 人々の政治離れ、組合員の組合離れなど、いわゆるアパシーが、わが労働界の不都合な現実である。アパシーが話題になり始めたのは1980年前後である。もちろん、組合においては戦後一貫して、組合員のフリーライダー意識をなんとかしようと踏ん張ってきたが、流れを変えられていない。

 当時、最大のイベントである春闘が左前で、その再建とともに、一方でユニオン・アイデンティティ(組合理念再建)の運動も発生した。しかし、バブルで浮ついていたこと、さらにバブル崩壊で雇用問題が大発生して、しっかりと足許を踏みしめる前に雲散霧消してしまった。

 連合が発足したのは1989年である。その前の政策推進労組会議、民間連合を経て、官民統一の800万人連合が誕生した。戦前、戦後を通じて労働組合組織が大合同したのは初めてで、まさに快挙であった。ところで、おおかたの組合員の歓呼の声などは、どこにもなかった。

 総評・同盟・中立・新産別の4団体が連合に統一されたのだが、永年の怨讐・確執・不信感が深く、はっきりいえば、「統一することに意義がある」という地平に止まった。連合アイデンティティ、すなわち、停滞感が漂い始めていた労働運動を活性化させるための討議が決定的に欠落していた。

 なるほど分立していた組織が大同団結するのは偉業である。しかし、組合は運動体であるから、「なにを、なんのために」という目的がふわふわしたままでは、いかに組織が大きくなっても力は出ない。労働戦線統一は、いわば手段(合同)が目的化してしまった。それは運動の出発点に過ぎない。

 いまの組合リーダーは、労働戦線統一の事情などほとんど知らないのではないか。連合や産別のリーダーにしても、詳細を知り、考え、現代的連合の建設に根本から着手しようとしているように見えない。つまり、過去の経緯に深い関心もなく、にもかかわらず、前例踏襲を続けていることになる。

 組合活動の人気がないにもかかわらず、リーダーになれば、ひたすら前任者の後を続ける。これでは、永久にジリ貧路線を歩いている。これ、単位組合から連合まで共通した悪しき「組合文化」になっている。今回の共闘排除路線も、組織維持のみに関心があって、運動の活性化の芽がない。

 組合が大きく統一するのは、働く人々が手応えある人生をめざせるように、政治・社会・経済の全分野にわたって変革行動を起こそう。そのために、働く人1人ひとりの力を結集するのが目的である。政党支持問題は大事である。しかし、既成の枠組みのなかで、うろちょろ駆け回っても意味はない。

 働く人が伸びやかに発言し、行動している国がどこにあるか。連合は働く人を大きく結集する活動をめざして結成された。リーダーたるものは、世界から注目される組合活動をつくる見識と度胸を養わねばならない。みなさん、お分かりとは思うが、連合力はΣ産別力であり、産別力はΣ単位組合力である。単位組合力はΣ組合員力である。組合員力を結集せねばならない。そのための参議院議員選挙基本方針を構築してもらいたい。