論 考

人生の意味が見つからない

 「人生の意味を見つけられず」という発言には、真理がある。気がつけば生まれて以来生きているけれど、あらかじめ人生の意味を与えられていない。

 だから人生の意味にとっ捕まった以上、意味を見つけねば収まりがわるい。人生の意味が、そのあたりに転がっているかもしれないが、それにしては簡単に見つからない。生涯かけて、見つけられずに終わるかもしれない。

 昔、心理学の泰斗とされる先生とお話する機会があった。「先生は、どうして心理学の道に入られたのですか?」。「自分がなにものかわからずに苦しくて、心理学をやればわかると思ったのです」

 「で、問題は解決されましたか?」。「いいや、依然としてわかりません」

 古代ギリシャ人は、――生まれない方がよい。もし、生まれたなら、少しでも早く、生まれる以前へもどることだ――と考えていたが、BC6世紀ころ、忽然と、――生きるのが辛いのであれば、とことん、そいつと付き合ってやろうじゃないか――という方向へ転換した。

 「世界は舞台だ。徹底して、遊んでやれ」という精神であった。

 西洋ルネサンスの人々が見つけた、古代ギリシャ精神の最大価値が、これだと思われる。

 たぶん、人生の意味を見つけた人は、極めて少ないだろうなあ。