論 考

非平衡状態真っただ中

 コロナ騒動が3年目に入った。うんざりしつつ、一方ではこの状態に慣れたような気分もある。体験の積み重ねと日々の習慣で、こんなもんだという無意識の意識が働いている。

 わたしは体験していないが、大東亜戦争(1941~45)が開始する前と、開始した後も似たような気風が支配しただろう。

 実際は1931年の満州事変からすでに10年、日本は戦争していたのだが、戦場は中国大陸であった。じわじわと戦時体制のモノ不足、言論統制などが進んできて、中国との戦争に加えて41年の対米英蘭開戦で、国内隅々まで戦争が強烈に実感された。

 戦争以前の日常と比べれば大きな変化である。しかし、戦争が継続するにつれて、今度は戦争が日常となった。つまり、戦争に慣れた。

 慣れることは、気持ちの安定上不可欠である。しかし、慣れてしまうとそれが当然になって、格別の問題意識もまた発生しにくい。

 そこで、1つ、問題提起である。社会が変化するのは、従来生活がなんらかの変化を引き起こした場合である。

 それまでの均衡が崩れて、非平衡状態になる。これは、新しいものが生まれるきっかけでもある。ひたすら状況に適応することを考えるだけではなく、もっとよい社会(日常)を生み出せないだろうか――と考えることが大事であろう。

 転んでもただでは起きないという。駄じゃれの表現をすれば、コロナでもただでは起きないという元気な発想でやろう。