週刊RO通信

ボクが一番ーー子ども的認識

NO.1438

 小学校1年生だったはずだ。みんなが慕っていた女先生が校庭で、「誰がいちばんかわいいかな」と言われた。一斉に「あたし」「ボク」と喚声をあげて先生の周りに集まった。引っ込み思案だった自分も、ボクの1人で駆け寄った。先生は巧みに子どもの自我を引き出されたわけだ。

 ノーベル文学賞のトーマス・マン(1875~1955)は、『ドイツとドイツ人』(1945)に、――人間的解放(自由)が内面に裏付けられず、自由概念がもっぱら外へ向かうときは、単なる自己中心主義である――と指摘した。幼い「あたし」「ボク」が、自分がいちばんかわいいと思うのは、大人の目にはかわいい。大人がこれをやったら、他人は鼻白むに決まっている。

 ゲーテ(1749~1832)は、――自我を文化的課題として理解し、課題追求に精魂傾ける――ことを自我中心主義と位置付けた。そして、自由を追求し、超国民的なもの、世界的広がりのある作物(世界文学)を生み出すことを生涯の目標とした。ドイツ人から出発して世界人をめざした。

 ナチとは何だったのか。マンの見立ては、――知性の高慢さが、心情の古い偏狭さと合体するとき、悪魔が生まれる――というものである。ゲーテにとって、あらゆるものの中心は「文化と野蛮」である。古い偏狭な心情である単なる自己中心主義が、われこそがいちばんという思いを現実に推進しようとするとき、ナチの悪魔が生まれた。

 『ドイツとドイツ人』は、第二次世界大戦で1945年5月7日、ドイツが無条件降伏した直後にアメリカで、亡命していたマンが講演したものである。マン独特の言い回しで、ちょっと難しいが、ドイツ人が、ナチの暴力と大宣伝に取り込まれた精神状態を鋭くえぐっている。

 マンは、ドイツ人の天性がうぬぼれ、田舎者気質、(欧州)国際社会における劣等感に支配されていたとする。ナチは、フライハイト(ドイツの解放運動)を名乗った。内面的自由を放棄して。外に向かって最大限の自由を獲得しようとしたわけだ。それを肝に銘じて、敗戦後のドイツは、まさに民主主義と平和の国家建設に邁進した。最近引退したメルケル氏も、民主主義ドイツが生み出したデモクラットとして世界的に強い印象を残した。

 さて、1990年代までの一極体制を失ったアメリカについて考える。その原因は、中国の台頭である。アメリカにとって、中国が輝くのはとても不都合らしい。もちろん、台湾海峡で火花が飛ぶようなことはお断りだ。中国が超大国らしく、もっと風通しのよい国になってほしい。アメリカ的覇権を攻撃するだけでは、世界的支持はえられない。

 アメリカが、中国の台頭を快く思わないにしても、中国がかつてのきわめて不都合な状態を克服して、こんにちの地歩を獲得したことは否定できない事実である。好ましいか、好ましくないかはともかく、世界各国はそれぞれの歴史的時間に立っており、自国の意志や考え方で行動する。たまたまアメリカ一極支配的状況があったとしても、それが万古不易ではない。

 1914年7月4日の独立記念日、大統領トーマス・W・ウイルソン(1856~1924)は、――世界はアメリカを頼って、あらゆる自由の基底に横たわる道義的霊感を探し求めるだろう。アメリカが人権を他のあらゆる権利の上に置くことを全ての人に知らしめるとき、この国は時代の脚光を浴びて、光り輝くことになろう。かくしてアメリカの旗は、単にアメリカの旗ではなくして人類の旗になるのだ。――と演説した。

 ウイルソンが高邁な理想を掲げたことはわかる。しかし、これは政治的スローガンであっても、アメリカが各国の「進化」に向かって諸問題を解決できるわけではない。意地わるく読めば、アメリカ的八紘一宇である。現実政治において民主主義は、単なるスローガンではなく実践である。

 このアメリカ万能的意識が、一極支配を当然とする考えになると、誤ったグローバリズムにはまり込んでしまう。かつてのドイツ人のうぬぼれ、田舎者気質などと大差はない。他国を封じ込めるために、民主主義イデオロギーを使うべきではない。他国からすれば、一極支配は決してありがたくない。まして、超大国が角突き合わせる事態を歓迎する国は存在しない。

 戦争から遠ざかるために尽力するのが本当のグローバリズムである。