論 考

半端な記憶

 新聞通信調査会『日本人の働き方100年』(東京国際フォーラム)という報道写真展を見学した。

 年代を追って見ていくと、当時の自分の活動とも重なり、あれこれ考えた。これに限らず、歴史的写真を見ていつも気づくのは、昔に戻るほど、人々の視線がしっかりしている。というか、厳しい。見ているものが明確だったに違いない。

 歴史の渦中にあることに、自身がようやく気づいたのは1960年代後半であった。原子力空母エンタープライイズ寄港反対行動で佐世保へ行った帰りだ。動員の行動はしたが、いったいなにを変えようとしたのか、悶々として、物足りない気持を原稿に書いたものの、この原稿自体がまた中途半端であった。

 展示写真にはエンプラはないのだが、思い出した。なんのことはない、実は、いまも中途半端ではないか。ぼやぼやしている間に歳だけくった。

 日ごろ眠っていたなにかが刺激されたらしく、昨夜は現役活動時代の夢を見たらしい。これが、またはっきり思い出せない。

 今朝は、強い朝日を浴びて事務所へ向かった。ランドリーへ寄ると、主人が、「風が冷たくなりましたねえ」と言われる。そうか、あれこれ、もやもや考えていて、風の冷たさにまったく気づかなかった。