論 考

議会活動が改善される選挙に

 自民党総裁選挙に比べると、新聞報道は地味だ。各政治家が選挙区に散らばって、似たような選挙戦を展開しているから、社会記事的には格別の面白さがない。

 それに、いずれかの党・個人にスポットを当てると選挙戦に公平さを欠くことにもなりかねない。その点、総裁選は公職選挙法の外だから、面白さ中心に好き放題の報道ができたわけだ。

 おかげで、菅氏の辞任に至る大きな失点がカバーされて、与党にはおおいに貢献した。まあ、しかし、こんなことばかり分析してもさほどの意義はない。

 デモクラシーにおいて、選挙の意義は、議会勢力をどのように配分するかにある。党・議員がいずれもデモクラシーを弁えており、数の力で恣意的政治をしなければよろしいが、55年体制からこの方、とりわけ自民党政治は、デモクラシーを育てたとは言えない。

 デモクラシーとは、単純にいえば民意が反映される政治である。だから、民意が離れたと見た岸田氏が(理解の内容は不明だが)「民主主義の危機」を唱えて、「聞く耳」を持っていると語るのは方向性としては妥当である。

 しかし、岸田氏がそうであると仮定しても、自民党全体の体質が容易に変わるとは考えにくい。つまり、民意なるものを自民党の諸君に対して、きっちり理解させるかどうか。少々の不祥事や恣意的政治をやっても、選挙で出直しを強調すれば、民意が戻ってくると自民党の諸君が考えてしまうのではダメだ。

 そこで、有権者の見識として求められるのは、大所高所から、日本的政治が従来よりも改善するには、どのような議会構成にするべきかを考えることだ。

 それは、政権交代があるとかないとかの問題ではない。どの党が政権を取っても、議会が真っ当に機能することを、くれぐれも念頭に置きたい。