論 考

若者と選挙

 NPO活動家などによる若者の投票率アップ運動が報じられた。参政権運動の歴史を少しかじれば、投票率アップを呼びかけねばならない事情は、やるせない。つい、「猫に小判・若者に参政権」という戯れ言葉が浮かぶ。

 60年前、わたしの故郷辺りは非常に保守的であった。いまも保守的だが昔ほどではない。「村八分」が死語でなかった。ある地域では、歩けない高齢者を戸板に乗せて投票所へ運んだ話もあり、投票率は90%を超えていた。これなど、高投票率でも感心できない気風があった。

 わたしの地域はそれほどひどくはなかったが、1921年(大正10年)生れの母は、わたしにも誰に投票したかを話したことがなかった。もちろん地域を牛耳っている主流派に投票していないのは聞かずともわかっていた。

 そんな時代と比較すれば、昨今は、出口調査で堂々と話している人が多いから、投票の秘密に悩むことはほとんどないだろう。その一方で、投票自体に自分の思いを表明しないのは、まことにもったいない。

 若者世代が投票に行かないこと自体が、わが政治の地盤沈下を雄弁に語っている。さらに敷衍すれば、職業政治家への人材供給ができない。いまの自民党総裁選を見ても、いちばん若いのが58歳である。

 若い世代が派閥の締め付けを嫌って、自由に投票させろというサークルを立ち上げたが、まあ、意思表示する意義はあるものの、「年寄に任せておけるか」という元気がないのは残念である。

 相変わらず旧態依然の権威主義が大きな顔をしていることに、もっと義憤を感じてもバチは当たるまい。

 いま、投票に行かない若者たちが、そのまま年齢を重ねていくとすれば、まだまだ日本的政治は後退するわけだ。これは、党派的問題ではない。