週刊RO通信

「安倍+菅」政治総決算の時来る

NO.1422

 衆議院議員任期満了が10月21日、それに先立つ自民党総裁任期満了が9月30日である。自民党総裁選挙日程がようやく決められ、9月17日告示・29日投開票となった。菅氏が解散して衆議院議員選挙を戦い、総裁選挙は後回しという説があったが、この流れは一応消えた。

 一方、立憲は9月7日から16日に臨時国会を開催するよう自民党に申し入れた。理由は、2021年度補正予算の審議が必要だとする。臨時国会を開催すれば、閉会の16日に解散するケースもある。そうすると衆議院議員選挙は9月28日公示・10月10日投開票が想定できる。

 28日毎日新聞の世論調査で、内閣支持率は26%。国民的不人気、「菅では選挙の顔にならない」という自民党内の声が高まっている。自民党総裁選挙を後回し、衆議院議員選挙を戦い、勝利すれば菅氏が総裁続投を手にできる。岸田氏が総裁選出馬を表明した。派閥勢力からすれば岸田氏の目はないが、二階氏が先導して菅内閣を生み出したときとは相当様子が異なる。

 なによりも、この期に及んで小細工的策を弄したところで、国民的不人気は変わらない。先回同様の派閥によるゴリ押しをやれば、自民党に対する批判はさらに高まるだろう。その事態で、党員挙って大奮闘する選挙体制が作られる見通しはない。菅氏を担いでの選挙戦は、見えない「明かりが見えてきた」という菅・自民党バクチ路線みたいである。

 1941年、東条首相は「ジリ貧を避けて事態を突破する」として大東亜戦争に突っ込んだが、ジリ貧どころかドカ貧になって大敗北を喫した歴史的教訓もある。先の安倍氏、いまの菅両氏ともに戦後っ子! で、敗戦までの歴史を学ばないのが信条らしいから、まあ、教訓にはならないだろう。

 9年におよぶ「安倍+菅」内閣の政治は、政局の安定ではあっても、政治的安定ではなかった。なるほど、政局の安定(実は議会政治の空洞化である)を作ったのは与党の数の力である。おかげで政治はまさに頭から腐った。両者ともに姑息な政治私物化のスキャンダルが続いた。

 ドラマでいうなら、小悪人の仕業の辻褄を合わせるためになした、優秀な官僚諸君の涙ぐましい努力の数々は、喜劇というにしても質の低いドタバタにすぎず、苦い笑いをちらりと生んだのみで、政治の信頼を失わせた。

 人間は、とかく自分自身の意見と趣味を他者に押し付けやすい。なかなか啓蒙できない存在である。安倍・菅両氏の共通点は、小者・奸策・権力乱用である。このタイプは、いわば小者=子ども的心理状態にあるから、周辺の大人が説諭して、指導よろしきを得なくてはならないが、なにしろ行政権力の頂点ポストに座しているのだから始末が悪い。

 非科学的オツムで、国語能力が弱く、他者の話の内容を理解する力が弱い(仕事の能力が劣る)のはたっぷり見せつけられた。一方、体験的に官僚機構遊泳術を身に着けている。単純にいえば、自他の関係において、つねに自分が優位に立つべく、相手の弱みを握るのが巧みである。

 官僚諸氏が、国家国民のために粉骨砕身という矜持であれば、選挙戦を潜り抜けて来たこと以外に格別取り柄のない政治家に遠慮することはない。しかし、こちらもまた地位が高級であっても、宮仕え体質が染みついているから堂々たる政治をおこなう気風を欠いている。

 もちろん官僚だけを冷やかすのは失礼だ。産業界はじめ、さまざまの業界において、仕事ができるから上位のポストに上がった人は、あえて言うが少ないようだ。よい仕事をすることと、官僚機構を巧みに上っていくことは別概念である。よい仕事をすればするほど、他者のジェラシーを買う。なんとなれば、良い仕事ができる=有能者は相対的に少数派であるからだ。

 優秀でないにもかかわらず上位ポストを占めた人に共通するのが、肩書依存である。肩書が立派でも、中身が伴わないから、必然的に権威主義になってしまう。かくして官僚組織が悪しき上意下達の伏魔殿と化す。

 筆者は、安倍内閣からの9年間が、誇り高い民主政治とはまったく異形の衆愚政治そのものであったと分析する。近々、衆議院議員選挙がおこなわれることは間違いない。野党が頼りないと見られているにしても、少なくとも、「安倍+菅」政治の総決算の時が来ていることを大声疾呼する次第である。