週刊RO通信

破壊と報復の非創造性

NO.1421

 2001年9月11日のニューヨーク貿易センタービルなどへの、ハイジャックした旅客機による同時テロ事件に世界中が震撼した。9月13日、ブッシュ大統領(子)は、「21世紀最初の戦争だ」と吠えた。犯人を捜査する前からオサマ・ビンラディンの仕業と決めつけ、報復としての戦争をぶち上げ、「われわれの味方になるのか、テロリストの側につくのか」とアジった。10月、テロリストを匿っているとして、「限りなき正義作戦」(Operation Infinite Justice)と称した、アフガニスタン空爆が始まった。

 1998年にタリバンは全土の90%を支配下に収めた。アフガニスタンの人々は、79年ソ連の侵攻、続くムジャヒディンとタリバンの抗争にこりごりで、タリバンに不満があっても、とにかく平穏に暮らせれば、あえて文句は言わないという人が多数派であった。

 テロリストを匿っていると決めつけられても大方の人は濡れ衣で、困惑するしかない。テロリストは情報網を確立しているから要領よく逃げる。情報なく、素手の市民の犠牲は必然的に増える。多くの市民が空爆、その後の戦火に難民化し、無念の最後を遂げた。当時、難民は260万人であった。

 テロリストの暴力を否定しつつ、さらに巨大な暴力を振るう。簡単にテロリスト撲滅とはいかない。暴力に悪の暴力と正義の暴力の色分けをしても、正義の暴力が罪なき人々に襲いかからない保証はないし、事実その通りだ。

 いま、内外の報道はバイデン政権による米軍アフガニスタン撤収を巡って騒動している。バイデン支持率が50%を切ったが、米国民の多数はアフガニスタン情勢に関心が薄く、米軍撤収自体は60%以上が支持している。要するに、米国民においては、駐留米軍の拙い撤収が批判されているだけだ。

 奇妙な報道が少なくない。米軍が撤収してもアフガニスタン政府は2~3年は持ち堪えるという分析が直前まであった。ところが、ガニ大統領は国外へ退避し、タリバンは電光石火で首都カブールへ無血入城した。無血は上等としても、情報作戦では他に類を見ないほど優秀な米軍の見立て違いには、頭を捻るしかない。20年間に2兆ドル投入し、政府軍には880億ドル投入したともいう。米国がお金持ちでも散財していたわけではなかろう。

 政府軍・警察・治安部隊を合わせると30万人近いとされる。タリバンは確たることは不明だが、戦闘要員は8万人程度だという。武器にしても、政府軍のほうが優秀だ。そこで、政府軍などは低能力で、「自分の国のために」戦う意志がないという説が常識のごとくに報道される。

 さらには、米国が投入した資金は、政治家や軍上層部のポケットに入ったという。30万人というのは見せかけで、幽霊兵士であり、実際のところはどのくらい存在するのか不明だ。幽霊の分が腐敗だらけの支配層のポケットに蓄えられたという説である。

 これが事実であれば、そのような事情を知りながら、放置し続けた、駐留米軍のモラル・モラールもまた問われねばなるまい。もちろん、現地の軍だけの責任ではない。20年間のアフガニスタン戦争(駐留)が、いったい何だったのか。目的が確然としなければ、末端まで一糸乱れずとはいかない。

 米軍のアフガニスタン侵攻は、最初は9.11同時テロの報復が目的だった。同国をテロの温床にしないために、自立した政府を作ることに変化した。これが失敗した。潤沢な資金、米軍のバックアップが、自立どころかますます依存体質を育てたという。国家予算の70%が米国資金である。

 法治国家をめざしたものの、アフガニスタン政府は軍閥や地方ボス、一部の外国留学エリートのまとまらないチームで、人々が頼りにするのは法律よりも、宗教家や地域の長老である。問題解決のほとんどは、非公式手段だという。だから、汚職・腐敗はアフガニスタンの体質だとなる。しかし、これ、すべてアフガニスタン人に責任を転嫁したと見られなくもない。

 軍事は破壊と殺戮の力だ。国作りを唱えるならば、歴史や文化、とくにイスラム教と西欧キリスト教思想の差異を中心的課題としなければ、文明の衝突が起こる。しかも、資本や技術力に依存して、人間を尊重しない現代文明は、先進国自体を根本から蝕んでいる。鉄砲から国が作られるという思想の破綻だ。本当の問題は、拙い米軍の撤収作戦だけではない。