論 考

コロナ対策が前進しない事情

 コロナ対策の不備を質問されると、菅氏は回答せず、小池氏は想定内だと答える。両氏に共通するのは、過去の判断について、一切間違えていないという構えを崩さないことである。

 もちろん、政治的判断に絶対正解はないし、過去の問題について、他の選択肢と比較することはできないから、理屈上は、初めから逃げ道がある。

 ものつくりの職場に入って、PDC(計画・実行・検証)のサイクルを知り、感心して以来60年近くになる。一方、政治家に、その考え方のカケラもないのに驚く。いや、驚いている場合ではない。

 コロナウイルス感染防止対策のように、過去に取り組んだ体験がなく、手探りで対策を進めるような場合に、PDCサイクル、とりわけ検証作業が大切だということは、常識である。菅・小池両氏には常識がない。

 人間は、状況において育つ。好都合も不都合も体験し、反省し、工夫するから物理的課題だけではなく、精神的にも成長する。個人の人生においては、検証=反省である。逆にいえば、反省しなければ成長しない。

 反省だけならサルでもできるのだが、政治家は反省しない。ポーズだけの反省をすることは、人々に失礼だから反省しないという矜持だろうか。それも理屈ではあるが、いかにも尊大かつ傲慢である。