論 考

すさまじきもの「世紀の災典」

 わが町の電柱に「2020東京五輪・パラ」の旗が、写真でいえばセピア色になって梅雨の雨に打たれている。枕草子風ならば、すさまじきものというべし。

 いまや実施派・反対派のそれぞれ思いは違うが怨念の象徴である。

 ボタンの掛け違いは、安倍氏の「アンダーコントロール」発言に発した。「復興五輪」なる言葉に大きな違和感があった。被災者に意見を聞かずとも、異議を口にできない悔しさがあったのは間違いない。

 「コロナに打ち勝つ証」というコピーは、異議を頭越しに抑えつける為政者の態度をさらに重ねた証拠である。

 菅氏の苦し紛れ、陳腐そのものの「平和の祭典」は、「平和の災典」の誤植である。そうでなくても、五輪の金権儲け主義を批判する主張は絶えない。

 果ては、右翼安倍的「五輪に反対するのは反日」発言が飛び出して、異議申し立てする人々には、かたじけなくも、かつての「非国民」のレッテルが貼られた。

 まあ、このような乱痴気騒動になるのは、理想的存在ではなくなった五輪が招いた必然的流れともいえる。

 それなりに、まさしく「2020東京五輪・バラ」は、「世紀の災典」として、歴史に刻まれるであろう。これは、嫌味ではない。客観的評価である。