週刊RO通信

政府の非常識を突いた有志26人

NO.1412

 6月18日、新型コロナウイルス感染症対策分科会の尾身会長ら有志26人が、「2020年東京オリンピック・パラリンピック競技大会開催に伴う新型コロナウイルス感染症拡大リスクに関する提言」を発表した。宛先は、政府・組織委員会であり、さらにIOCにも伝えてくれと記されている。

 尾身氏ら26人は政府・都道府県にコロナ対策で助言をおこなっている人たちである。提言のテーマについては、分科会に諮問するのが筋道であるにもかかわらず、政府は諮問しなかった。26人が有志として提言を発表せざるを得なかったのは、非常識な政府のもとでの筋を通した対応である。

 世界の感染は1日40万人前後、死亡は1日1万人程度が継続している。60%がワクチン1回目接種を終えたイギリスでは再び感染拡大し、40%接種したアメリカでも横ばいが続く。「ワクチンに賭けた」(菅氏)と粋がること自体が、無定見・無責任な態度であり、お気楽な印象を払拭できない。

 国内は、4月25日、東京に緊急事態宣言を発して以降、6月3日に全国感染者が1日2,000人台に下がり、この1週間は平均1,500人程度であるが、東京は下げ止まり傾向で、楽観的判断を下せない。

 提言は、6月下旬からの感染拡大・医療逼迫リスクについて、宣言が解除されると人出が増え、2~3週間後に感染が増加する。夏季は旅行・帰省も多くなる。首都圏で感染拡大すると全国に波及する傾向があるから、8月下旬にパラリンが開催されるころ、医療負担のリスクを懸念する。

 オリパラ大会については、大会規模の縮小が重要とする。無観客が望ましい。有観客の場合は、① オリパラは大きな大会だから、従来の大規模イベントよりも厳しい基準にする、② 人の流れを抑制するために、観客は開催地の人に限る、③ 感染拡大や医療逼迫の予兆があれば、開催中であっても無観客とする――など、常識的に理解できる内容である。

 提言は全体に抑制された表現である。控え目ながらも、大会が開催されること自体が――市民が協力する感染対策にとって「矛盾したメッセージ」となるリスク――であると指摘する。競技が夜間に及べば、営業時間短縮や夜間外出自粛を要請されている市民は割り切れない。テレビなどで人の流れ・接触機会の増大を誘うような映像が流れるのも、感染対策に協力している市民にとっては矛盾を感じる。俗にいう悪魔のささやきだ。

 「矛盾したメッセージ」の意味は、本質的な問題である。――日本のコロナ対策は、市民の自発的な協力に大きく依存しているのであって、市民の意識は感染対策の成否に重要な役割を果たしてきた――のであるから、ずばりいえば、オリパラ開催自体が、感染症対策に対する矛盾=反動だというのである。昨年政府は、GoToキャンペーンの強引な見切り発車で、厳しい批判をうけた。「矛盾したメッセージ」は、それとオリパラが同じ位置にあることを意味する。26人は、常識をもって政府の非常識を突いた。

 同じ失敗を繰り返すのは学ばないからだ。学習効果がない政治家と、専門家の見識の違いが明確に表面化した。加えて、コロナ対策にせよ、オリパラにせよ、誰が本当の司令塔なのか。オリパラでは政府・都・組織委は、IOCなる国際的イベント屋の下請けだ。ために菅氏は、「このような事態で、オリパラ大会を開催する理由は何か」と質問されても答えられない。表面には出てこないが、スポンサーこそが開催決定権限者なのであろうか。

 菅氏は、G7首脳に東京オリパラ開催を支持されたと胸を張るが、首脳宣言の内容を一読すれば、社交儀礼の延長と解するのが妥当である。G7首脳宣言で質量ともにいちばん力が入っているのは、国民の「保健」「健康安全保障」である。第一に、パンデミックの2022年までの終息を掲げ、途上国へのワクチン支援や、将来のパンデミックに備えるとしている。 

 一方、菅氏ら政府与党は、パンデミックの恐さや、対策の重要性がいまだ理解できていない。昨年来、わが国のパンデミック対策は、将来を考えるどころか、当面の感染拡大防止対策に振り回されるばかりである。感染症の初動対策の失敗は明確であるが、反省して、感染症研究・保険・医療体制立て直しに着手したような気配もまたない。政府的非常識を突いた有志26人の自立的活動の意味は大きい。わたしは有志を支持する。