論 考

ボケに乗せられたボケ

 同じ三文役者だから、演目を変えても相変わらず中身が陳腐で、木戸銭がもったいなかったとぶつぶつ言いつつ家へ帰るようなものだ。

 ほかでもない、いわゆる党首討論である。

 本来、主役は菅氏であるが、これがなんとも大根で、愛されないボケがボケをそのままに押し出すのだから少しも面白みがない。質問されてもまともに答えないのは先刻承知であるが、それなりの演技がほしいものだ。

 野党質問の1つは、こんな状態でオリパラをやる意味とは何かを問う。それで、1964年東京五輪の感動的シーンを引っ張り出した。本人は、これでオリパラに突き進む理由を語ったつもりだろう。ただし、投げ銭飛ばず。

 とぼけたことでは定評ありの片山虎氏が、批判の矢面に立っていることに同情する質問を向けた。年式が古いだけあって5分間の持ち時間を使って、一種精神的隙間を突く質問である。案の定乗せられた。

 要するに、オリパラはやることになっているのだから、やるしかない。敷かれた線路の上のトロッコだという次第だ。トロッコであって、運転者ではないところが本質的問題である。