犯罪に程度が悪いとか、よろしいとかの区分をするのはナンセンスであると知りつつも、やはり、一言したくなる。
愛知県知事に対するリコール署名捏造事件は、捏造現場での作業の様子に至るまで、極めてお粗末以外のなにごとでもない。署名が集まらないから焦ったなど理由にもならない。程度が悪すぎる。
事務局長は元県議会議員で、次の衆議院議員選挙に維新から出馬予定だったというから、政治活動の素人でもないし、社会通念としては、そこそこの政治家なのであるが、なにしろ、現実は話にならない体たらくだ。
今回のリコールには、反民主主義的イデオロギーや人間関係のこじれが感じられる。それらが不純だとは言わぬ。が、リコール活動のルールを遵守する程度の見識を持ち合わせていなかったのは、リコール活動自体が不純だったことを証明している。
呆れかえるのは、河村・高須両氏の弁解で、事務局長に全責任を押し付ける発言を繰り返している。リコール活動という大ごとを、「よきに計らえ」とばかり座布団に収まっていて成功するわけがない。
司令塔たる河村・高須両氏が、いかに県民を見下しているかが露見している。これが最大の問題だ。他者を見下す輩は、自身に甘い。
河村・高須両氏は、家が倒壊する前に見捨てて逃げるネズミの知恵を発揮している。狡猾な人間が賢明な人間として通用するほど、社会に害をなすものはない。こんな倫理観で、河村氏は果たして名古屋市長の仕事ができるのだろうか。