論 考

パレスチナとイスラエル

 イスラエルとパレスチナの衝突が深刻だ。もともと、イスラエルがパレスチナに入植し、さらにゴリ押しで拡大して、両国共存路線を無視している。

 流浪の民から建国したイスラエルの人々の忍耐力・勤勉さは尊敬に値するが、力だけが正義だというのであれば、手放しでは評価できない。

 イスラエル首相ネタニヤフ氏が国内における指導力の低下を挽回する好機と考えて、とことん行くところまで行くという気配が濃厚だ。

 1978年9月の米キャンプデービッドで、カーター大統領の支援のもと、エジプト・サダト大統領とイスラエル・ベギン首相が、パレスチナ自治権で合意し、2人はノーベル賞を受賞するが、サダト氏はイスラム過激派に暗殺された。

 88年11月、PLOはパレスチナ建国を宣言。93年、米クリントン大統領の支援のもと、PLO・アラファト、イスラエル・ラビン首相がオスロ合意を結び、95年9月に調印した。2人とイスラエル・ぺレス外相はノーベル賞受賞したが、ラビンは国内の過激派に暗殺された。

 それからの4半世紀、つねに暗雲漂う事態が改善されずに今日まできた。トランプ氏が極端なイスラエル寄り政策を展開して、仲介の立場を捨てたのは、事態を悪化させた。

 完全な解決ではなかったにせよ、78年から95年の動向は、パレスチナ紛争を理性的に解決する方向へ進んでいた。米バイデン政権が、再び仲介の立場に足場を固めてほしい。