論 考

漱石さんのはげまし

 夏目漱石(1867~1916)『草枕』が発表されたのは1906年、漱石さんの趣味(人間としての)を縦横に繰り広げた文章で、美意識の部分は音読するつもりで読むと格調と美意識のリズムが混然一体、想像の世界へと誘われる。

 読み進むにしたがい、登場人物それぞれの人生観が交錯して、さほど動きがあるドラマではないが、いつの間にか自分の人生観や趣味と交感する。そして、末尾になると、社会評論の一端が顔をだす。

 汽車で旅立つ人を見送る場面である。――客車のうちに閉じ込められた個人と、個人の個性に寸毫の注意をだに払わざるの鉄車と比較して、——あぶない、あぶない、気をつけねばあぶないと思う。お先真闇に妄動する汽車は危ない標本の一つである――

 115年後のいま、汽車に限定して読めばなんてことはないが、自分が乗っている社会と置いて考えると、(もちろん漱石さんの意図はこれだ)あぶない、あぶないの含意がよくわかる。

 漱石さんは、明治文明開化を評して、外発的で内発的でないと論じた。上滑りで「懐疑」がない。critical thinking(批判的思考)がない。この思考的習慣が定着しなければ、日本人の真の文明開化ではないと見通していたのである。

「知に働けば角が立つ、情に掉させば流される」で始まる『草枕』を読むと、「しっかりやりなさい」という言葉はないが、ポンと肩を叩かれた心地になる。