週刊RO通信

為政者の無能―76年前の敗戦と似る

NO.1404

 3度目の緊急事態宣言が4月25日から5月11日まで、東京・大阪・京都・兵庫に出された。1度目は昨年4月8日から5月6日、東京・神奈川・埼玉・千葉・大阪・兵庫・福岡に宣言が出され、4月17日全国へ、5月31日まで延長した。開始日の感染者は5,162人・死亡は109人。今回4月24日時点で、感染者564,638人・死亡は9,939人である。

 感染症対策の鉄則、Testing(感染者発見)・Tracking(感染経路追跡)・Tracing(接触者追跡)に、当初から力を入れず、時間を経過した分、感染者は109倍・死亡は91倍となった。1度目の宣言に対しても対処が遅すぎたと批判され、新聞はすでに「自粛疲れ」を報じた。

 遅かっただけでない。司令塔を気取る安倍氏は「重症者への医療に重点を置く体制の整備など、国民の健康と命を守るための必要な対策をちゅうちょなく実施していく」(20.4.3)と語った。医療崩壊は当時すでに危惧されていたが、安倍氏は医療任せで、感染症対策の基本認識が確立していなかった。

 医療従事者の個人用防護装備不足(サージカルマスク・防護服・ガウン・手袋・エタノールなど)で現場はてんやわんや、安倍氏は4月9日、466億円かけて世帯当たりマスク2枚を配布すると語り、世間を呆れさせた。自民党議員が「感染の責任を政府のせいにするな」とツイートして批判を浴びたが、これ、当時のみか、いまも政府与党の本音に思えて仕方がない。

 3度目の宣言も、いささかならず疑問がある。ゴールデンウイークへの短期集中対策で、強力な措置だという。政府高官は、強い権限だから短期集中だと解説するが、同義反復で解説にならない。過去2度の緊急事態宣言と比べて根本的に新しいものがない。ターゲットの飲食店を人の流れと言い換えただけで、相変わらずの口先介入である。人々はいまや、自粛疲れ、自粛慣れの延長で、緊急事態宣言慣れとでもいうべきだ。

 宣言期間に果たして期待する成果が上がるのか。宣言について専門家は、「5月11日の宣言解除は無条件ではない」と語っている。強力な短期集中対策というが、基本的戦略において食い違いがあるわけだ。

 菅氏は、「国民感情にどう向き合い、協力を求めていくか」と語った。これは、人の流れを最小限にするために、人々の協力がいただけるかどうか。まあ、首相就任以来では比較的正直な発言である。人々の協力を得るためには、「わたしが責任を持って決断します」というごとき、無知にして傲慢かつ無責任な発言をしないことだ。国民感情を無視してはいかんということに気づいたのが、ささやかな進歩だとしても、短期集中対策について、科学的根拠があるのか! 政治的カンとコツの熟達者だとしても、コロナ対策は相変わらずズブの素人だろう。恰好つけているかぎり他人の信頼は得られない。

 自民党が国民に安心・安全・安定を訴えるのは長い歴史的習慣であるが、コロナによって政府与党の無能・非力があぶり出された。2011年東日本大震災の際、自民党は、新米政権の民主党の足を引っ張り続け、ボロクソの無能呼ばわりした。政権復帰してからも、悪夢の民主党政権時代だと悪口雑言を重ねてきたが、目下の自民党は、見事な無能・無責任を露呈している。

 ここまでの政府与党的コロナ対策は、1つは感染症対策の決定的な不勉強、もう1つは、東京五輪のリングが頭を締め付けているからだ。安倍氏の不遜なアンダーコントロール虚偽発言に始まり、完全な形で実現するという展望なき大ぼらがあって、「なにがなんでも開催せにゃならぬ」という断崖絶壁に立っている。コピーを並べて、問題先送り政治をしてきたツケである。

 1945年7月26日にポツダム宣言が発せられた。すでに敗戦必至、打つ手なし。しかし、支配者たちは決断できず時間を過ごし、広島・長崎への原爆投下とソ連の対日参戦によって引導を渡された。その間14日。捨てなくてよい命が失われた。降参すれば人々が革命を起こすのではないか。支配者たちは、一億玉砕よりも革命を恐れたのである。

 いまは戦争ではないが、五輪中止ならば次の選挙の目がないという恐怖感が、中途半端な感染症対策を生み出す。5月17日のバッハ来日までに宣言を終わるという取り繕い。政府与党は、「コロナよりも何よりも、『五輪は開催することに意義がある』」というトラウマに漂っている。