論 考

少子高齢化の背景

 出生数減少は1980年代からの問題である。今朝は、社説で読売は「結婚支援への有効な施策」の必要性を、毎日は「産みたいと思える社会に」という主張を掲載した。

 思うに、結婚(法的なものだけでなく)も子どもを持つというのも、極めて個人の価値観に基づくものだから、直接的な社会政策に依拠することはどんなものだろうか。もちろん、育児しやすい環境を作るとか、生活困窮者が少なくなるように社会全体のベクトルを共有するのは基本的に大切である。大きくみれば、国民1人ひとりが生活そのものに困らない社会をめざすのが第一である。

 精神的なことをいえば、1人の人間が、不可解な人生ではあるけれども、自分の一生をつねに見つめて、泣いたり笑ったり怒ったり、いろいろな現実に直面しても、それに背中を向けるような虚無感にとらわれないことが大事だ。

 歴史を辿れば、明治近代化以来、先進国の物質的文明の採取に奔走してきた文脈が、いまも相変わらず継続しているようだ。ただし、西洋文明が生み出されるに至った「哲学」的思考が一貫して不十分である。

 たとえば、ライフプランというものの根底は、「いかに生きるべきか」を自前でじっくり思索研究することであるが、現実に展開されているものは、いかにも物質的・経済的なことばかりで、面白くもなんともないばかりか、ぼやぼやしとったら、置いて行かれまっせという脅迫めいた雰囲気が作られている。

 自分にとっての「人間らしさ」を考える気風が高まることが何よりも大切だと考える次第である。