論 考

行き詰りにおけるリーダーシップ

 五輪・パラ輪のボランティア500人が辞退した。直接の引き金が森氏暴言問題としても、オリンピックが「平和とスポーツの祭典」という大義名分だけでは人々への訴求力が無くなっていることと無関係ではない。

 競技大会でアスリート諸氏が、鍛えに鍛えた技を発揮して、人々を感動させることは疑いがないが、余りにも巨大化して、なおかつ、スポーツに込めた美学が政治や経済に汚染していることもまた否定できない。

 今回の五輪の場合、当初、「東日本大震災の復興」を世界の人々に示すというコピーが登場したときも、少なからぬ懐疑が支配していた。次は、「コロナとの戦いに勝利した証」というコピーを掲げたが、これまた、いまだ、開催の形すら決まらない事態である。

 状況に応じてコピー能力を発揮するのは、それなりに意味があるけれども、コピー的パッチワークで苦境をしのぐのは無理である。

 昔からわが国においては、大きな困難にぶつかった際、立ち止まって沈思黙考するのが下手くそだ。森氏ご指名の川渕氏に頭を挿げ替えただけでは、とても仕切り直しできないのではないか。

 誰が、本当のリーダーシップを執るリーダーなのか?